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田植草紙(たうえぞうし)は、大正時代に広島県で発見された、中国地方の田植歌を記録した書物である[1]。近世初期から田植歌が伝わったとされる中国地方では、こうした写本が数多く見つかっている。
概要
広島県山県郡大朝町新庄で見つかった草紙[1]。中国山地の安芸・石見地方に数多く流布した田植歌に関する写本の中で、最も優れていると言われる非常に貴重なものである[1]。室町時代の後期から安土桃山時代ごろ(15世紀から16世紀ごろ)に成立し[1][2]、江戸時代に筆写されたとされるものだが[1][2]、編者は不詳である。田植の進行にそって、朝歌から昼歌、晩歌と配列されている[3]。計140首。
当時は日本人のほとんどは百姓であったため、稲の豊作こそなによりも重要で、稲が少しでも不作となれば大飢饉に陥りかねない時代であり、田植えは生きる上で欠かせない存在であった。人々は田の神に敬意を示し、無病息災と豊穣・豊作を祈願して、田植歌を歌って農作業をしていた。