人物
口径15cm倍率25倍の双眼鏡やセレストロン社の口径20cmF1.5シュミットカメラとTP2415フィルムで彗星捜索を行っていた。 東京で建築家として働いていた1982年に友人とともにいわき市に「いわき天体観測所」を建てたが[1]、毎週150kmの道のりを通うことは大変でありかつ毎晩観測したい思いが強かったことから、1995年7月にいわき市に引っ越し「ほうき星」という名のレストランを開いた[2]。 その同年9月17日に7.5等級の彗星を発見した[3]。ほかに宇都宮章吾や中村祐二が独立して発見していた。のちにこの彗星はそれまで149年間行方不明であった(122P/デヴィコ彗星)だったと判明し、重要な再発見となった。
この功績により1996年の日本天文学会で(天体発見功労賞)を3人で受賞している[4]。 また、小惑星(12027) Masaakitanakaは田中の名前にちなんで命名された[5]。