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来歴・人物
都城農業高時代は、1965年のプロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズから10位指名を受けた坂元健投手の控えであった。打撃が良いので、一塁手で三番も務めた。
1965年夏の甲子園大会予選一回戦、対妻高戦(延長18回引き分けと再試合の2試合)で10打数7安打を記録し有名になった。
読売ジャイアンツや近鉄バファローズなどもマークしていたが、社会人野球の電電関東入りが内定していたので12球団とも選択リストには入れなかった。だが、1965年のドラフト外で南海ホークスに入団。
上手からの本格派。金田を思わせる身長だったが、コントロールが悪く、一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場無し
背番号
- 48 (1966年 - 1967年)