経歴
嘉穂高校3年の時にインターハイ軽量級で優勝した[2]。1982年に亜細亜大学へ進学すると、1年の時に新人体重別60kg級で3位になった[1][3]。2年の時には正力杯と正力国際で2位だったが、新人体重別で優勝を飾った[3][4]。3年の時には正力国際の決勝で天理大学1年の斉藤光重を判定で破って優勝すると、4年の時には正力国際の決勝で大阪商業大学1年の今川義則を有効で破って2連覇を達成した[1][5]。大学を卒業後は福岡県教育委員会の所属となった[1]。福岡県高校教員校[6]
戦績
- 1981年 - インターハイ 軽量級 優勝
- 1982年 - 新人体重別 3位
- 1983年 - 正力杯 2位
- 1983年 - 新人体重別 優勝
- 1984年 - 正力国際 2位
- 1985年 - [正力国際 優勝
- 1985年 - ハンガリー国際 3位
- 1985年 - チェコ国際 2位
- 1986年 - 正力国際 優勝
(出典[1]、(JudoInside.com))。
脚注
外部リンク
- 熊本修治 - JudoInside.com のプロフィール(英語)