漢意(からごころ)は、本居宣長が提唱した思想概念・批評用語の一つ。「唐心」の意で[要出典]、同義語として「漢籍意」や「漢国意」などもある[1]。
概要
はかりごとを加えず善悪ともにありのままのさまを尊ぶ大和魂に対して、物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく中華思想を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を指す。
本居宣長は『源氏物語』や和歌の研究[注 1]を通して、「人間のあるがままの感情を、善悪の倫理的な判断に及ぶことなく、そのままに肯定すること[注 2]が文学、ひいては人間のあるべき姿である」と考えるに至った。これは、当時の社会にあっては、文学を幕府から開放する極めて先鋭な文学意識であり、「大和魂」と「漢意」の研究によるその思想体系[注 3]は、後世の国文学に大きな影響を与えた[要出典]。
宣長の漢意論は精神的・文化的側面から論じられているところに特色があるが[要出典]、宣長独自の文献批判に基づく外交史『馭戒慨言』においては、文化面だけでなく政治・外交面においても日本人として自立した価値観を持つことを訴えている[注 4]。しかし、宣長の没後に欧米の異国船来航が始まって以降、外交関係が変化するに伴って、同書は「現実の外交を論じたもの」として拡大解釈されるようになっていく[注 5]。
漢意に言及している著作
- 司馬遼太郎、ドナルド・キーン『日本人と日本文化』中央公論新社〈中公新書285〉、1972年。ISBN (4121002857)。
- 長谷川三千子『からごころ:日本精神の逆説』中央公論新社〈中公叢書〉、1986年。ISBN (4120014894)。(中公文庫、2014年。(ISBN 9784122059641))
- 百川敬仁『内なる宣長』東京大学出版会、1987年。ISBN (413083018X)。
- (本居宣長記念館) 編『本居宣長事典』東京堂出版、2001年。ISBN (4490105711)。
- 田中康二『本居宣長の思考法』ぺりかん社、2005年。ISBN (4831511277)。
- 田中康二『本居宣長の大東亜戦争』ぺりかん社、2009年。ISBN (9784831512420)。
- 田中康二『本居宣長の国文学』ぺりかん社、2015年。ISBN (9784831514257)。
- 田中康二『真淵と宣長:「松坂の一夜」の史実と真実』中央公論新社〈中公叢書〉、2017年。ISBN (9784120049484)。
- 石平『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられのたか:「脱中華」の日本思想史』PHP研究所〈PHP新書〉、2018年。ISBN (9784569837451)。
- 馬渕睦夫『日本を蝕む新・共産主義:ポリティカル・コレクトネスの欺瞞を見破る精神再武装』徳間書店、2022年。ISBN (9784198652913)。
脚注
注釈
- ^ 注釈書に『源氏物語玉の小櫛』があり、歌論書に『石上私淑言』がある。
- ^ いわゆる「もののあはれの説」である。
- ^ 『宇比山踏』(寛政11年)や『玉勝間』(文化9年)に詳しく述べられている。
- ^ 書名にある「馭戎」すなわち「西戎を制馭する」という概念は、宣長以前に見られないため、宣長による造語である可能性があるという[2]。
- ^ 幕末期には、平田派の国学者によって「宣長の代表作」に挙げられ、例えば大国隆正は『馭戎問答』、平田延胤は『馭戎論』を著している。吉田松陰が横井小楠に宛てた書状(嘉永6年11月26日付)にも「馭戎の事」と出てくる。当時の情勢と彼らの立場を考慮すれば、この場合の「馭戎」は「攘夷の別称」であったと考えられる[2]。しかし、時代が昭和に入ると「大東亜共栄圏に臨むにあたって必読すべき書」として利用され、「馭戎」は「侵略の別称」ともなった[2]