源 兼忠(みなもと の かねただ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。清和天皇の孫で、(上野太守)・貞元親王の子。官位は正四位下・参議。
経歴
醍醐朝の延喜17年(917年)従五位下に叙爵。その後、(備中権守)・三河権守・侍従を歴任した。
朱雀朝に入ると、延長9年(931年)左兵衛佐、承平6年(936年)左衛門佐と武官を務め、承平2年(932年)従五位上、承平8年(938年)正五位下と昇進する。天慶3年(940年)に中宮亮を兼ね、天慶4年(941年)従四位下に進む。のち、春宮亮・中宮権大夫を歴任した。
天慶9年(946年)成明親王が即位(村上天皇)すると春宮亮の功労により正四位下に叙せられ、7月に左京権大夫、9月に右京権大夫に転じ、天暦5年(951年)に(近江権守)に任ぜられた。天暦8年(954年)参議に任官し公卿に列す。議政官の傍らで(備前権守)・治部卿を兼任した。
官歴
『公卿補任』による。
- 延喜17年(917年) 正月7日:従五位下(氏爵)
- 延喜21年(921年) 正月30日:(備中権守)
- 延長6年(928年) 正月29日:三河権守。6月9日:侍従
- 延長8年(930年) 9月22日:昇殿
- 延長9年(931年) 3月13日:左兵衛佐
- 承平2年(932年) 正月7日:従五位上
- 承平5年(935年) 2月23日:(大和権介)
- 承平6年(936年) 3月24日:左衛門佐
- 承平8年(938年) 正月8日:正五位下(中宮御給)
- 天慶3年(940年) 3月25日:兼中宮亮
- 天慶4年(941年) 正月7日:従四位下。2月9日:昇殿
- 天慶5年(942年) 3月29日:(近江権守)
- 天慶7年(944年) 4月22日:兼春宮亮(春宮・成明親王)
- 天慶8年(945年) 10月4日[1]:中宮権大夫、亮如元
- 天慶9年(946年) 4月28日:正四位下(前坊亮)。7月17日:兼左京権大夫。9月16日:右京権大夫(左京大夫玉淵依有従父兄忌也)
- 天暦5年(951年) 正月30日:近江権守
- 天暦8年(954年) 3月14日:参議
- 天暦9年(955年) 2月7日:兼(備前権守)。参議如元
- 天暦10年(956年) 3月24日:兼治部卿。参議権守如元
- 天徳2年(958年) 7月1日:(卒去)(参議治部卿正四位下)[2]
系譜
『尊卑分脈』による。