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湯田友美

湯田 友美(ゆだ ともみ、1985年5月28日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。 ニックネームは「湯田ちゃん」。

湯田 友美
選手情報
フルネーム 湯田友美
国籍 日本
種目 長距離走
所属 ワコール
生年月日 (1985-05-28) 1985年5月28日(37歳)
生誕地 愛知県犬山市
身長 159cm
体重 43kg
引退 2010年
自己ベスト
1500m 4分19秒19 (2004年)
3000m 9分05秒27 (2004年)
5000m 15分35秒92 (2007年)
10000m 32分33秒28 (2007年)
獲得メダル
陸上競技
アジアジュニア選手権
2004 マレーシア 3000m
2004 マレーシア 1500m
編集 

経歴

愛知県犬山市羽黒出身。犬山市立東小学校、犬山市立東部中学校を経て、愛知淑徳高等学校を卒業し、ワコールに入社した。

現役時代は全国女子駅伝等で活躍した。2007年開催の第25回全国女子駅伝の第2区で湯田が記録した29人抜きは、最多「ごぼう抜き」女子駅伝記録である(2009年第27回大会で兵庫の小林祐梨子豊田自動織機)にタイ記録として並ばれたが、現在でも最多「ごぼう抜き」女子駅伝記録である)[1]。第2区は、第1区から引き継いで混戦状態から激しく順位が入れ替わる序盤の重要な区間で、過去においてもしばしばごぼう抜きが見られた区間である。この大会で湯田は、34位から5位まで順位を上げ、当時中学3年生だった鈴木亜由子日本郵政グループ)へ襷を繋いでいる。

2008年開催の第26回大会では京都府チームのメンバーとして同じく第2区を3位でタスキを受け、すぐに2位の静岡の(高橋紀衣)(スズキ)を交わし、更にラスト600mでトップを行く岡山の浦田佳小里天満屋)を抜きトップに立ち、区間2位の記録でトップのままタスキを繋ぎ、京都チームの4連覇に大きく貢献した。湯田が京都チームに所属したこの年の京都チームの優勝タイム2時間14分58秒は、2013年開催の第31回大会にて神奈川チームが2時間14分55秒で優勝して抜かれるまで大会記録であった。現在でも京都チーム記録である。

毎年12月の全日本実業団対抗女子駅伝を目指して調整をしていたが、そこで力を出し切れず、いつも1月に調子が上がってくるため、「1月女」とよく呼ばれていた[2]

2010年3月1日、ワコール女子陸上部のHPにて現役引退。

引退後は、各種ランニングクラブでコーチとして所属し、市民ランナーにアドバイスを行ったり、ゲストランを精力的におこなったりしている。

主な成績

年月 大会 種目 順位(タイム) 備考
2004年6月 アジアジュニア陸上(マレーシア) 1500m 銀メダル(4分24秒71)
2004年6月 アジアジュニア陸上(マレーシア) 3000m 金メダル(9分30秒66)
2004年7月 世界ジュニア陸上(イタリア) 3000m 4位(9分13秒69)
2006年1月 第24回全国女子駅伝 2区 区間3位(12分39秒)
11人抜き
愛知県20位[3]
2007年1月 第25回全国女子駅伝 2区 区間2位(12分30秒)
29人抜き(大会記録)
愛知県10位[3]
2007年3月 世界クロスカントリー選手権 シニア8km 54位(30分45秒)
2007年6月 日本選手権 5000m 4位
2008年1月 第26回全国女子駅伝 2区 区間2位(12分40秒) 京都府優勝

人物

現役時代は、ロングの髪を高めに左右に2つに結んだツインテールのヘアスタイルにしていることが多かった[4]。また、陸上競技選手の中では美人選手として有名だった。

脚注

  1. ^ 以前の記録は、第2回大会(1984年)で岩手のアンカーだった佐々木七恵エスビー食品)の記録した17人抜き。
  2. ^ “湯田 愛知2区”. 京都新聞 (2007年1月15日). 2019年9月6日閲覧。
  3. ^ a b “都道府県別・各大会成績”. 皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会事務局. 2018年1月13日閲覧。
  4. ^ “お知らせ 2019.7.4”. 宇都宮マラソン大会実行委員会事務局 (2019年7月4日). 2019年9月6日閲覧。

外部リンク

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