湯原 元綱(ゆはら もとつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。出雲国島根郡・秋鹿郡内に本領を持つ国人。尼子氏、毛利氏の家臣。父は湯原春綱。
生涯
尼子氏が毛利氏の圧迫を受けて劣勢に追い込まれたため、永禄5年(1562年)1月に天野隆重や(大谷元親)、桂元忠、(児玉元実)の勧誘によって父・春綱と共に毛利氏に降った。以後は毛利氏家臣として吉川元春に従い、(月山富田城攻め)に加わった。
永禄6年(1563年)3月6日、出雲国意宇郡大草村における合戦で武功を挙げ[注釈 1][1]、父・春綱と共に毛利元就から感状を与えられた[2]。
その後は中国地方で尼子再興軍、織田氏、宇喜多氏などと戦い、天正13年(1585年)の四国攻めや天正14年(1586年)から天正15年(1587年)にかけての九州平定に従軍し武功を挙げた。
天正19年(1591年)8月26日に父・春綱が死去すると家督を相続し、天正20年(1592年)から始まる(文禄の役)に従軍した。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『萩藩閥閲録』巻115「湯原文左衛門」