桂 元忠(かつら もとただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣で、五奉行の一人。桂広澄の次男。兄に桂元澄、弟に桂就延、(桂保和)がいる。養子に(桂就宣)。官途は上総介。
生涯
大永4年(1524年)に父・広澄が自刃した際に、兄・桂元澄と共に桂城に籠って抵抗したが、毛利元就の説得により降伏した。
天文19年(1550年)に毛利隆元の下で五奉行制度が始まると、その正直な性格を元就に評価され、五奉行の一員として活動した。五奉行の中では児玉就忠同様、親元就派だったため、親隆元派だった赤川元保、国司元相、粟屋元親らとは対立したが、隆元が元就の隠居を止める書状を元忠に送るなど、元就と隆元をつなぐ役割を果たしていた。
元亀元年(1570年)頃までは、五奉行として活動していたが、元亀3年(1572年)からは養子の(就宣)が五奉行の職を引き継いだ。元忠のその後の消息は不明である。
参考文献
- 『萩藩閥閲録』巻20「桂勘右衛門」