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渋沢史料館(しぶさわしりょうかん)は、東京都北区西ケ原にある渋沢栄一の生涯と事績に関する博物館(登録博物館)。管理運営は、公益財団法人渋沢栄一記念財団。飛鳥山公園内にある「飛鳥山3つの博物館」の一つ。
渋沢史料館 Shibusawa Memorial Museum | |
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施設情報 | |
正式名称 | 財団法人渋沢栄一記念財団付属渋沢史料館 |
専門分野 | 渋沢栄一の生涯と事績 |
管理運営 | 公益財団法人渋沢栄一記念財団 |
延床面積 | 本館:1,653.13m2 |
開館 | 1982年(昭和57年) |
所在地 | 〒114-0024 東京都北区西ケ原二丁目16番1号(飛鳥山公園内) |
外部リンク | http://www.shibusawa.or.jp/ |
プロジェクト:GLAM |
展示室のある本館のほか、渋沢栄一の旧邸として大正期に建てられ重要文化財に指定されている晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)を公開している。
歴史
- 1878年(明治11年) 渋沢栄一が飛鳥山に別荘「曖依村荘(あいいそんそう)」を設ける
- 1886年(明治19年)4月 栄一の門下生らが竜門社を結成
- 1901年(明治34年) 本邸を飛鳥山に移す(最盛期には敷地約28,000m2、建物約1,900m2に達した)
- 1917年(大正6年) 晩香廬竣工
- 1925年(大正14年) 青淵文庫竣工
- 1931年(昭和6年)11月11日 栄一死去。旧渋沢邸は竜門社に遺贈される
- 1945年(昭和20年)4月13日 太平洋戦争時の空襲により建物の大部分を焼失
- 1946年(昭和21年) 財団名を渋沢青淵記念財団竜門社に改称
- 1982年(昭和57年) 渋沢史料館開館
- 1998年(平成10年)3月 本館新築開館
- 2003年(平成15年)11月 財団名を渋沢栄一記念財団に改称。初代理事長は渋沢雅英(栄一の曾孫、渋沢宗家3代目当主)
施設
本館
隣接する紙の博物館・北区飛鳥山博物館と共に1998年に新築開館した、鉄筋コンクリート造の展示施設。1階に閲覧コーナーとミュージアムショップ、2階に常設展示室と企画展示室がある。リニューアル工事のため2019年(令和元年)9月1日から休館[1]、翌2020年(令和2年)11月19日にリニューアルオープンした[2]。
- 構造 - 鉄筋コンクリート造地上2階地下1階建
- 設計 - 株式会社佐藤総合計画
- 施工 - 清水建設株式会社
- 竣工 - 1997年
- 延床面積 - 1,653.13mm2
晩香廬
晩香廬(ばんこうろ)は渋沢栄一の喜寿を記念して清水組から贈られた木造の洋風茶室。様々な建築様式を取り混ぜ趣向を凝らした小建築で、賓客の接待に用いられた。名の由来には諸説あり、栄一自作の漢詩から取ったとも、「バンガロー」の音に当てたものともいわれる。重要文化財。
青淵文庫
青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の傘寿と子爵昇爵を祝って竜門社会員から贈られた鉄筋コンクリート造2階建ての書庫。「青淵」の名は渋沢栄一の号より。外壁は石貼り、テラスに面した窓の上部はステンドガラスで飾られている。建物内部1階は床面チーク材張りの閲覧室、2階は書庫である。栄一の嫡孫・渋沢敬三が収集した論語などの漢籍約6,000冊が収蔵されていたが、これらは敬三の死去した1963年に東京都立日比谷図書館に寄贈された(現在は東京都立中央図書館蔵)。渋沢史料館の開館当初から本館新築までは展示室として使用された。
- 構造 - 鉄筋コンクリート・煉瓦造2階建
- 設計 - 中村・田辺建築事務所
- 施工 - 合資会社清水組
- 竣工 - 1925年
- 延床面積 - 330m2
- 登録区分 - 重要文化財(旧渋沢家飛鳥山邸)
アクセス
関連項目
脚注
外部リンク
- 渋沢栄一記念財団
- 飛鳥山3つの博物館
- 渋沢史料館 - artscape
- 渋沢史料館 - インターネットミュージアム
- 国指定文化財等データベース 重要文化財(建造物)旧渋沢家飛鳥山邸 晩香廬
- 国指定文化財等データベース 重要文化財(建造物)旧渋沢家飛鳥山邸 青淵文庫
[[Category:{{{pref}}}関連のスタブ項目]]
座標: 北緯35度44分56.9秒 東経139度44分21.2秒 / 北緯35.749139度 東経139.739222度