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略歴
北海道芦別市生まれ。芦別市立緑ヶ丘小学校、芦別市立芦別中学校、北海道芦別高等学校を卒業。
1982年、三井芦別石炭の子会社である「三井芦別鉄道株式会社」に入社し貨車の組成、入替え連結等々の鉄道員としての仕事に従事する。国の第8次石炭政策の影響下で同社が解散する事となり、1989年、26歳の時に退職する。同年三井石炭(株)の雇用開発室の紹介により「スピードファスナー株式会社」入社、同社の東京支店に勤務する。1990年札幌支店に転勤。この後、同系の企業2〜3社を転職し札幌、旭川と転居した。1996年、有限会社中央アンカーを設立と同時に、芦別に帰郷し本社を構える。
2007年に芦別市議会議員に当選[1]。1期務めた後、2011年、芦別市長選挙に立候補し、現職の林政志を破って当選[2]。2015年の市長選挙では新人の今野宏に破れて落選した[3]。
主な過去の経歴
- 芦別青年会議所
- 芦別市勤労者共済会理事長
- 芦別本町地区子ども育成連合会会長
- 芦別市社会教育委員
- 芦別市青少年問題協議会委員
- (私)芦別みどり幼稚園評議委員
- 芦別市立緑ヶ丘小学校PTA会長
- 日本ケネルクラブ中空知支部長
- 芦別市バレーボール連盟副会長
- 芦別市議会議員
選挙歴
不祥事
- 2013年(平成25年)3月:自宅の新築工事に市の建築係長を関与させたのは不適切だったとして、減給20%、3か月の処分。
- 2014年(平成26年)3月:報道機関に「私情や私憤の混在した報道」「住民に対しての扇動とも感じられ、行政運営に著しい不利益を被っている」など記した公文書にて抗議した問題について、市議会でどの記事を指すのか質問されるものの明確にしなかった。そのため、「公文書で報道批判をしながら責任放棄だ」「報道の自由への理解不足」「私情につながりかねない公文書」など批判され紛糾。最終的に「公文書を送付した手法、さらに内容の一部について適切さを欠き、反省しておわびしたい」と陳謝。減給20%、3か月の処分。
脚注
外部リンク
- 清澤茂宏 facebook