清末 新郎治(きよすえ しんろうじ、1855年(安政2年5月[1]) - 1928年(昭和3年)9月17日[1])は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。(貴族院多額納税者議員)。
経歴
肥前島原藩領国東郡高田村(大分県西国東郡高田町、豊後高田町を経て現豊後高田市)に生まれる[2]。1880年(明治13年)高田村会議員に就任したのを皮切りに、西国東郡会議員、同参事会員、同高田郵便電信局長、大分県木蝋業組合長、西国東郡農会長などを歴任する[1]。ほか、実業家として共立高田銀行頭取、豊州製蝋社長、宇佐参宮鉄道取締役などを務めた[1]。
1918年(大正7年)大分県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年7月20日[3]から同年9月28日まで在任した[1]。
脚注
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 189頁.
- ^ 臼杵新聞支社 1918, 17頁.
- ^ 『官報』第1791号、大正7年7月22日。
参考文献
- 『大分県実業家伝』臼杵新聞支社、1918年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。