郡域歴史 5分割された津軽郡の範囲(南:紺 北:薄青 中:灰色 東:緑 西:青)
1664年(寛文4年)の幕府による朱印改め(『寛文印知』)に際し、弘前藩の津軽信政に対して発行された朱印状で「津軽郡」との表記が見える。これは、それまで津軽地方にあった平賀郡・鼻和郡・田舎郡の3郡を庄とし、3庄を統括する郡として発足したものである。
近代以降の沿革
- 所属町村の変遷は(東津軽郡#郡発足までの沿革)、(西津軽郡#郡発足までの沿革)、(南津軽郡#郡発足までの沿革)、(北津軽郡#郡発足までの沿革)、(中津軽郡#郡発足までの沿革)をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。城下町は便宜的に1町として数える。(4町873村)
- 後の東津軽郡域(1町165村) - 弘前藩(1町137村)、黒石藩(28村)
- 後の西津軽郡域(1町220村) - 弘前藩
- 後の南津軽郡域(1町195村) - 弘前藩(173村)、黒石藩(1町22村)
- 後の北津軽郡域(159村) - 弘前藩
- 後の中津軽郡域(1町134村) - 弘前藩
- 明治4年
- 1878年(明治11年)10月30日 - 郡区町村編制法の青森県での施行により、津軽郡のうち、青森町ほか1町137村の区域に東津軽郡が、鯵ヶ沢町ほか1町110村の区域に西津軽郡が、黒石町ほか1町178村の区域に南津軽郡が、五所川原村ほか109村の区域に北津軽郡が、弘前城下ほか1町114村の区域に中津軽郡がそれぞれ行政区画として発足。同日津軽郡消滅。
参考文献関連項目 ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。