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歴史
石田三成の二男石田重成は関ヶ原の戦い後、津軽家を頼って陸奥津軽に落ち延びた。重成は杉山源吾と改名し、弘前藩に仕えた。長男杉山吉成は藩主の娘を娶り、弘前藩家老職となり、幕命による蝦夷出兵の際には弘前藩軍を指揮した。この際に吉成は江戸に上り、弘前藩を代表して幕府に対して戦後報告を行っており、すなわち幕府も石田三成の男系子孫の存在を把握していた。
以後、歴代の杉山家当主は弘前藩の重臣として奉行職や家老などを務め、幕末まで続いた。
歴代当主
参考文献
- 『青森県人名大事典』1969年、東奥日報社
- 東京青森県人会『特別寄稿:石田三成と津軽』2016年12月