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生涯
天文18年(1549年)、山城国にて(津田高重)の子として誕生。
はじめ室町幕府第15代将軍・足利義昭に仕え、その後、織田氏家臣・明智光秀に仕え、天正10年(1582年)の本能寺の変では、織田信長の籠る本能寺を攻める明智軍の先鋒を務めた。しかし、山崎の戦いで羽柴秀吉によって光秀が敗北後は高野山へ逃れたが、翌天正11年(1583年)に赦されて秀吉に仕え、豊臣秀次の付属とされた。文禄3年(1594年)8月、秀次の奏請で今枝重直ら他の家臣と共に豊臣姓を賜り、重久は従五位下・遠江守に叙された。
秀次自害の後、慶長元年(1596年)に子の(平蔵)とともに前田利長に召し出され、4,000俵で家臣となった。同時期に前述の今枝重直も前田家臣になっている。
慶長5年(1600年)、前田氏の北陸方面の戦いに参加し、関ヶ原の戦いの前哨戦たる西軍の山口宗永の加賀大聖寺城を攻めた。この(大聖寺城の戦い)で武功を挙げ、戦後は大聖寺城代を務めた。慶長10年(1605年)に致仕し、次男の(重次)が家督を継いだ。
参考文献
- 日本人名大辞典(講談社)
- 三百藩藩主人名事典(藩主人名事典編纂委員会)
- 富山市郷土博物館『富山市郷土博物館特別展 戦国の強者 津田遠江守重久』富山市郷土博物館、2015年。
関連項目
- 津田遠江長光 - 津田重久の愛刀と伝えられる国宝。
外部リンク
- 『(津田重久)』 - コトバンク