沼山古墳(ぬまやまこふん)は、奈良県橿原市白橿町にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。
沼山古墳 | |
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石室開口部 | |
所在地 | 奈良県橿原市白橿町 (白橿近隣公園内) |
位置 | 北緯34度28分16.05秒 東経135度47分28.62秒 / 北緯34.4711250度 東経135.7912833度座標: 北緯34度28分16.05秒 東経135度47分28.62秒 / 北緯34.4711250度 東経135.7912833度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径18m 高さ5.5m |
埋葬施設 | 右片袖式横穴式石室 |
出土品 | 副葬品多数・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | なし |
地図 | 沼山古墳 |
概要
奈良盆地南縁、益田岩船のある丘陵から北東に延びる尾根上に築造された古墳である[1]。1982年(昭和57年)に公園整備に伴って奈良県立橿原考古学研究所による発掘調査が実施されている[2][3]。
墳形は円形で、直径約18メートル・高さ5.5メートルを測る[3]。埋葬施設は右片袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。玄室の平面形は正方形に近く、玄室の天井部はドーム状の形態である。発掘調査では玄室内において多数の副葬品が検出されており、特にミニチュア炊飯具のセットが注目される[3]。
この沼山古墳は、古墳時代後期の6世紀後半頃の築造と推定される[3]。正方形に近い平面形・ドーム状天井という石室の特徴から、渡来人の墓とする説が挙げられている[3]。
埋葬施設
埋葬施設としては右片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[3]。
- 石室全長:約9.5メートル[2]
- 玄室:長さ4.95メートル、幅2.95メートル、高さ4.25メートル
- 羨道:長さ4.5メートル、幅1.8メートル、高さ1.8メートル
石室の石材は花崗岩の自然石で、長手積される[3]。玄室では高さ2メートルまで垂直に積み、その上は四壁を内側に持ち送りドーム状天井を形成する。天井石は2枚。また玄門部では閉塞石が残存した[3]。
正方形に近い平面形・ドーム状天井を特徴とする形態の石室は(真弓鑵子塚古墳)(明日香村)・与楽鑵子塚古墳・与楽カンジョ古墳(高取町)でも知られており、渡来系集団の古墳の特徴と推定される[3]。
出土品
発掘調査において玄室内で検出された副葬品は次の通り[3]。
土器のうちでは、特に玄室中央部において検出されたミニチュア炊飯具セット(甕・甑・竈)が注目される[3]。
これらの出土品は、現在では奈良県立橿原考古学研究所(橿原市畝傍町)で保管されている[2]。
トンボ玉
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『橿原市 沼山古墳・益田池堤(奈良県文化財調査報告書 第48集)』奈良県立橿原考古学研究所、1985年。
外部リンク
- 沼山古墳 - 橿原市「かしはら探訪ナビ」