河原 利明(かわはら としあき、1889年(明治22年)10月28日[1] - 1942年(昭和17年)10月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級[2]
経歴
1889年(明治22年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第34期卒業卒業[1]。1935年(昭和10年)12月に飛行第9連隊長に就任し[2]、1936年(昭和11年)8月に陸軍航空兵大佐に進級した[2]。1937年(昭和12年)に陸軍士官学校分校幹事に転じ[2]、1938年(昭和13年)に陸軍航空士官学校幹事に就任[2]。
1939年(昭和14年)3月9日に陸軍少将に進級し[2]、8月1日に東京陸軍航空学校長に着任[1]。1940年(昭和15年)12月に第4飛行団長に転じ[1]、1942年(昭和17年)8月15日に南方航空輸送司令官(南方軍)に就任[1][3]。同年10月14日に南シナ海上空で戦死した[3]。同日任陸軍中将[2]。
栄典
- 勲章等