江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。日本三大弁天の一つに数えられる[1]。
江島神社 | |
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所在地 | 神奈川県藤沢市江の島2-3-8 |
位置 | 北緯35度18分02秒 東経139度28分47秒 / 北緯35.30056度 東経139.47972度座標: 北緯35度18分02秒 東経139度28分47秒 / 北緯35.30056度 東経139.47972度 |
主祭神 | 多紀理比賣命 市寸島比賣命 田寸津比賣命 |
社格等 | 県社・別表神社 |
創建 | (伝)欽明天皇13年(552年) |
本殿の様式 | 権現造(辺津宮・中津宮)、入母屋造(奥津宮) |
札所等 | 鎌倉江の島七福神(弁財天) |
例祭 | 4月最初の巳の日 |
地図 | 江島神社 江島神社 |
祭神
宗像三女神を祀る。島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
歴史
社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった[2]。
当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。
明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。
境内
- 奥津宮:旧本宮。多紀理比賣命を祀る。入母屋造の社殿は天保13年1842年に再建された。拝殿天井には酒井抱一の『八方睨みの亀』が描かれ、源頼朝が奉納した石鳥居がある。
- 中津宮:旧上之宮。市寸島比賣命を祀る。仁寿3年(853年)創建。権現造の社殿は元禄2年(1689年)に改築された。
- 辺津宮:旧下之宮。田寸津比賣命を祀る。建永元年(1206年)源実朝が創建。権現造の社殿は延宝3年(1675年)に再建された。
- 奉安殿:八臂弁財天と妙音弁財天が安置される。
- 境内社
- 瑞心門:神門は龍宮城を模した(竜宮造)の楼門。
- 青銅鳥居 : 境内の入り口にある青銅の鳥居。経年とともに蒼くなった柱の下部に力強い蓑亀が刻まれている。江ノ島入り口付近に位置する。(藤沢市指定建造物)[3]。
文化財
重要文化財(国指定)
その他
祭事・年中行事
所在地・交通
神奈川県藤沢市江の島2-3-8
脚注
- ^ 竹生島(都久夫須麻神社)、宮島(厳島神社)、江の島(江島神社)が日本三大弁天といわれるが、江島神社の代わりに吉野の天河大弁財天社を入れる場合もある。
- ^ 江戸の庶民にとっては、大山詣でと江ノ島詣でのセットで娯楽の一つでもあった。
- ^ a b “指定文化財目録”. 藤沢市公式HP. 2023年1月2日閲覧。
- ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
- ^ 「文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について〜」(文化庁サイト、2019年3月18日発表)
- ^ “神奈川県文化財目録 種別順(令和4年5月1日現在)” (PDF). 神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課. p. 43 (2022年10月). 2023年1月2日閲覧。
- ^ “施設情報:エスカー”. 江の島シーキャンドル. 江ノ島電鉄. 2018年7月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 江島神社(公式サイト)
- 江島神社 (@enoshimajinja) - Twitter
- かつて江の島に三重塔がそびえ立っていた? - はまれぽ.com
- 明治時代の江島神社参道 - アドルフ・フィッシャー『日本の諸像(100年前の日本文化 オーストリア芸術史家の見た明治中期の日本)』、1897