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水野 忠敬(みずの ただのり)は、幕末の大名、明治時代の華族。駿河沼津藩の第8代藩主、のちに上総菊間藩主。沼津藩水野家15代。5万石。
経歴
嘉永4年7月10日(1851年8月6日)、沼津藩水野家の分家旗本(浜町水野家)の(水野忠明)の次男として生まれる。慶応2年(1866年)に本家の第7代藩主水野忠誠が死去したため、その養子として家督を継いだ[1]。慶応3年4月4日(1867年5月7日)に出羽守に叙任し、江戸城大手門番を務めた。慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では新政府に協力した。
同年7月、徳川家達が東海に入ってきたため、上総菊間藩に移封となる。明治2年3月4日(1869年4月15日)に羽後守に転任する。6月19日(7月27日)には版籍奉還により藩知事となり、明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県で免官となった。
家族
父母
妻
- 松平鍈子 ー 松平正和の三女
子女
脚注
参考文献
- 沼津市立駿河図書館編「御代々略記 沼津藩水野家年代記」
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。