人物
1929年2月3日、宮城県仙台市出身[1]。本名は安倍亮一。
早稲田大学理工学部在学中より音楽業界に入り、1958年に平尾昌章が歌った『星は何でも知っている』で作詞家としてデビュー[2]。
その後、読売新聞社に記者として入社。東京本社文化部記者として音楽関係の記事や評論を書きながら、一方では作詞家として数々の作品を世に送り出す。
1989年頃まで読売新聞に在職しており、その後フリーの音楽評論家となった。
作風
水島は洋楽曲の訳詞、和製ポップス、演歌、グループ・サウンズまでジャンルを問わない創作活動を行っていた。本人は「本業の記者として論理的な記事を書いていた一方で、非論理的な、感情を盛り込む仕事として作詞を行っていた」旨のコメントを残している[4]。
主な作品
- 平尾昌章
- 「星は何でも知っている」(作曲:(津々美洋))
- 「哀愁のバイパス道路」(作曲:吉田正)
- 「おもいで」(作曲:平尾昌晃)
- 三田明
- 「恋人の泉」(作曲:吉田正)
- 「薔薇の涙」(作曲:吉田正)
- 和田浩治
- 「純情愚連隊」(作曲:不明)
- 柴山モモ子
- 「東京っ子」(作曲:北原じゅん)