沿革
1944年(昭和19年)7月6日、北海道防衛を目的に新設された第77師団の歩兵連隊の一つとして旭川で編成された[3]。兵力補充は旭川師管区の歩兵第1補充隊で担当した[2]。同年4月26日、軍旗拝受[3]。1945年(昭和20年)5月、戦局が逼迫するに当たり九州南部へと転進[3]。吹上浜方面への米軍上陸が予想されたため、川内方面に沿岸防御陣地を構築した[3]。7月から加治木(現姶良市)に転進し機動打撃部隊の訓練中に終戦を迎えた[3]。
歴代連隊長
脚注
- ^ a b 「72.77D 第77師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011207600
- ^ a b c d 「75.77D 第77師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011172800
- ^ a b c d e f g h i 新人物往来社 1990, 78頁.
- ^ 外山、森松 1987, 1142頁.
- ^ a b 外山、森松 1987, 903頁.
- ^ a b 外山、森松 1987, 1143頁.
- ^ 山崎 1990, 237頁.
参考文献
- 外山操、森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 山崎正男 編『陸軍士官学校:保存版』(第8)秋元書房、1990年。
- 『地域別日本陸軍連隊総覧 歩兵編』新人物往来社〈別冊歴史読本 特別増刊第24号 戦記シリーズ〉、1990年。