来歴・人物
今治西高では1981年、2年生の時に、小学校から同期のエース藤本修二投手とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。四番打者として活躍し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した報徳学園高の金村義明投手に抑えられ、1-3で敗退。1年上のチームメートに渡辺弘投手がいた。翌年夏は県予選決勝に進出するが川之江高に敗れ、甲子園出場を逸する。
1982年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。
1987年にはMLB・テキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに、1年間野球留学した。しかし、帰国後も一軍出場は果たせないまま、1990年限りで現役を引退。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 57 (1983年 - 1989年)
- 42 (1990年)
脚注
- ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P20
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference