武田 勝信(たけだ かつのぶ)は、江戸時代前期の米沢藩士。米沢武田家2代当主。(武田信安) 、(長尾景貞)は孫にあたる。
生涯
慶長12年(1607年)8月4日、米沢藩士・米沢武田家初代である武田信清の嫡子として米沢で生まれる。
寛永4年(1627年)、本庄長房の娘を正室に迎える。同19年(1642年)、父・信清の病死により家督を相続する。禄高1000石。藩主・上杉定勝の偏諱を受けて勝信と名乗る。慶安元年(1648年)、藩主・綱勝の命で通称を大隈と改める。寛文3年(1663年)、上杉家の減封により禄高500石。延宝2年(1674年)、上杉綱憲の命で通称を大蔵と改める。延宝8年9月6日没。享年74。
嫡男の(信次)は夭折したため、妹の嫁ぎ先本庄重長の三男・(信秀)を婿養子に迎えた。