正野 重方(しょうの しげかた、1911年12月26日 - 1969年10月27日)は、日本の気象学者。理学博士。専門は気候力学。正野博士の著書は、今日でも気象学を学ぶ者の必携書である。大阪市出身。
来歴・人物
旧制大阪府立生野中学校、浪速高等学校から(東京帝国大学)に進み、気象学を専攻。藤原咲平教授に師事した。東京大学理学部教授に就任。日本の気象学の基礎を築き、1950年、大気擾乱の研究で日本学士院賞を受賞した。
教育者として30年に亘って後進の指導にもあたり、2021年にノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎・藤田スケールで知られた藤田哲也を始めとして、荒川昭夫・松野太郎・小倉義光など、気象学分野で多数の弟子を育成した[1]。
1940年、「大気擾乱の研究」の第1報として「渦動の波動論」を発表した[2]。1951年には、水力発電の機能低下に悩む東京電力の依頼を受けて人工降雨の実験に着手。ラジオゾンデをあげてドライアイスとヨウ化銀を霧状にして撒く実験を企画し、新聞報道により全国的に注目された[3][4]。また、気象数値予報技術の研究グループである「NPグループ」を主宰し、気象庁の数値予報技術の導入に大きく貢献した[5]。
しかし、若くして死去。気象学と気象学会の維持・発展に寄与したとして、日本気象学会から名誉会員の称号を受けた。日本気象学会は正野博士を記念し、若手研究者に授与する新人賞を「山本・正野賞」と命名している。その研究業績は世界的にも認められ、日本人として初めてアメリカ気象学会の名誉会員に選ばれた。
著書
訳書
- ホイッテーカー、ワトソン共著、正野重方 訳、「解析学」、文政社、1943年。(原典タイトル:A Course of Modern Analysis、1915年)