権田 愛三(ごんだ あいぞう、1850年 - 1928年)は、埼玉県大里郡別府村(現:熊谷市)出身の農業生産者。明治から大正時代に米や特に麦の増産に取り組み人々から「麦王」と呼ばれた。二毛作、麦踏みを全国に広めた。その功績から、(緑綬褒章)や大礼記念章を授与されている。2002年には絵本『麦さん』[1]となって描かれた。
権田は1872年には会社を興し、肥料と藍の栽培を開始し、次第に麦の増量に取り組み1909年(明治42年)には『実験麦作栽培改良法』を出版した。その著作の序文では「私は一介の農奴であり文筆のことは存じません」「改良法を開発したと主張してはお恥ずかしい次第で」と非常に低姿勢であり、続いて、万全を期して書いているが、文字で伝わらぬ部分については、ぜひ私のところへ来てください書いている。その通り、権田の元には全国各地から、その改良法の実習を求めて人々が訪れた。
地元の熊谷では今なお熊谷うどんが親しまれており、地元の小麦が重用されている。
著作
- 『実験麦作栽培改良法』埼玉県農報社、1909年。
- 『実験麦菽栽培改良法』第3版、埼玉農報社、1913年。
出典
- ^ 青木雅子、石原真澄・画『麦さん―いい麦作った権田愛三』けやき書房、2002年。
外部リンク
- 権田愛三(熊谷デジタルミュージアム)