『権三助十』(ごんざすけじゅう)は、 18世紀以降に成立したとされる講談『(大岡政談)』の一挿話である[1]。『(小間物屋彦兵衛)』のエピソードの登場人物、駕籠舁(かごかき)の権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)を主人公にしたスピンオフ作品であり、歌舞伎、浪曲、映画として多く題材に取り上げられ、上演あるいは製作・公開された[1]。映画化の際のタイトルを中心に『権三と助十』(ごんざとすけじゅう)とも呼ばれるが、これはもっぱら、この挿話を下敷きにした岡本綺堂の戯曲を指す[1][2]。
略歴・概要
「大岡越前」の通称で知られる実在の人物、大岡忠相(1677年 - 1752年)についての伝承・評判の類いを集めた講談、いわゆる「大岡政談』は18世紀ころから発生し始めるが、岡本綺堂によれば、『天一坊』や『(村井長庵)』、あるいは『髪結新三』『白子屋お熊』のエピソードと異なり、権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)の登場する『小間物屋彦兵衛』は、江戸および東京以外では、ほとんど知られていなかったという[1][2]。歌舞伎の大舞台で『権三助十』を上演したのは、岡本の知る限りでは、1897年(明治30年)5月、東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)の春木座(後の本郷座)で、三代目片岡我當(のちの十一代目片岡仁左衛門)が「権三」を演じたのが最初だという[1]。そのときの配役は以下の通り。
- 三代目片岡我當 - 駕籠かき権三/彦兵衛の女房おとく/大岡越前守(三役)
- 二代目片岡當十郎 - 駕籠かき助十
- 五代目嵐徳三郎(のちの五代目嵐璃寛) - 小間物屋彦兵衛
- 十三代目(中村勘五郎)(のちの四代目中村仲蔵) - 左官勘太郎
講談本の類いでは、国立国会図書館蔵書にみる限りでは、(菅谷與吉)の「(日吉堂)」が出版した『大岡政談 小間物屋彦兵衛伝』(1887年)をはじめとして、1880年代に多く出版された『小間物屋彦兵衛』の一挿話に収まっている[3]。岡本綺堂が書いた戯曲『権三と助十』は、1926年(大正15年)に初演された[2]。
『権三助十』の最初の映画化は、岡本より早く、1923年(大正12年)8月1日に公開された、マキノ映画製作所製作・配給、後藤秋声(のちの(後藤昌信))が監督した『権三と助十』で、市川幡谷が大岡越前守、(片岡松太郎)が権三、片岡市太郎が助十をそれぞれ演じた[4]。同作の脚本家は記録にないが、多くの映画化が、講談を下敷きに、オリジナルシナリオを標榜して製作されており、岡本綺堂の戯曲を原作にしたものは、わずか伊丹万作が監督した『(権三と助十)』(1937年)のみである[5]。
これらの映画は、比較的新しい一部を除き、2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
映画化
- 権三と助十 - 講談を下敷きにした1923年の映画。
- 権三と助十 - 講談を下敷きにした1926年の映画。
- 権三助十 - 講談を下敷きにした1932年の映画。
- かごや判官 - 講談を下敷きにした1935年の映画。
- 権三助十 捕物大騒動 - 講談を下敷きにした1936年の映画。
- 権三助十 鶴一番大当り - 講談を下敷きにした1938年2月公開の映画。
- 権三助十 天狗退治 - 講談を下敷きにした1938年7月公開の映画。
- 初笑ひかごや判官 - 講談を下敷きにした1939年の映画。
- 権三と助十 - 講談を下敷きにした1940年の映画。
- 権三と助十 かごや太平記 - 講談を下敷きにした1956年の映画。
- (浪曲権三と助十 ゆうれい駕籠) - 講談を下敷きにした浪曲版の1960年の映画。
- (浪曲権三と助十 呪いの置手紙) - 上記映画の続篇としての1960年の映画。
- (サラリーマン権三と助十) - 講談・戯曲のパロディとしての1962年の映画。
- (サラリーマン権三と助十 恋愛交叉点) - 上記映画の続篇としての1962年の映画。
1923年の映画
権三と助十 | |
---|---|
監督 | (後藤秋声) |
脚本 | 不明 |
出演者 | 市川幡谷 (片岡松太郎) 片岡市太郎 |
撮影 | 大塚周一 |
製作会社 | マキノ映画製作所等持院撮影所 |
配給 | マキノ映画製作所 |
公開 | 1923年8月1日 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三と助十』(ごんざとすけじゅう)は、1923年(大正12年)製作・公開、(後藤秋声)監督による日本の劇映画、サイレント映画である[4]。講談の一挿話『権三助十』の初映画化である。詳細不明[4]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (後藤秋声)
- 脚本 : 不明
- 撮影 : 大塚周一
- 製作 : マキノ映画製作所等持院撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - サイレント映画
- 公開日 : 日本 1923年8月1日
- 配給 : マキノ映画製作所
- 初回興行 : 浅草公園六区・大東京
キャスト
1926年の映画
権三と助十 | |
---|---|
監督 | (山下秀一) |
脚本 | (近松門吉) |
原作 | 近松門吉 |
撮影 | (立花幹也) |
製作会社 | 帝国キネマ芦屋撮影所 |
配給 | 帝国キネマ演芸 |
公開 | 1926年 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三と助十』(ごんざとすけじゅう)は、1926年(大正15年)製作・公開、(山下秀一)監督による日本の劇映画、サイレント映画である[8][9]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (山下秀一)
- 原作・脚本 : (近松門吉)
- 撮影 : (立花幹也)
- 製作 : 帝国キネマ芦屋撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - サイレント映画
- 公開日 : 日本 1926年
- 配給 : 帝国キネマ演芸
- 初回興行 : 不明
キャスト
- (岩井竹緑)
- (片岡童十郎)
- (嵐寛十郎)
- (阪東豊昇)
1932年の映画
『権三助十』(ごんざすけじゅう)は、1932年(昭和7年)製作・公開、(石山稔)監督による日本の劇映画、サイレント映画である[10]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (石山稔)
- 原作・脚本 : 不明
- 撮影 : 不明
- 製作 : 河合映画製作社
- 上映時間(巻数 / メートル) : 約62分 (7巻 / 1,286メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - 18fps - サイレント映画
- 公開日 : 日本 1932年1月29日
- 配給 : 河合映画製作社
- 初回興行 : 不明
キャスト
- (河合菊三郎)
- (富士幸三郎)
- (千代田綾子)
1935年の映画
かごや判官 | |
---|---|
監督 | 冬島泰三 |
脚本 | 冬島泰三 |
原作 | 冬島泰三 |
出演者 | 林長二郎 坂東好太郎 高田浩吉 |
音楽 | (直川哲也) (杵屋正一郎) |
主題歌 | 作詞 (湯淺みか) |
撮影 | 伊藤武夫 照明 西村計雄、(山中長二郎) |
製作会社 | 松竹京都撮影所 |
配給 | 松竹キネマ |
公開 | 1935年7月14日 |
上映時間 | 63分(現存版) |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『かごや判官』(かごやはんがん)は、1935年(昭和10年)製作・公開、冬島泰三原作・脚本・監督による日本の劇映画、トーキーである[11][12][13]。東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリントとして、35mmフィルム、16mmフィルムの2ヴァージョン(いずれも「63分」)を所蔵している[13]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : 冬島泰三
- 原作・脚色 : 冬島泰三
- 撮影 : 伊藤武夫
- 照明 : 西村計雄、(山中長二郎)
- 録音 : (土橋武夫)
- 装置 : (山田竹二郎)
- 装飾 : (稻川耕造)、渡辺昭
- 設計 : (香野雄吉)
- 監督補 : (加藤與志)、(岩田英二)、(小坂哲人)、柳澤壽男
- 撮影補 : (枡谷悦郎)
- 撮影補助 : (藤洋三)、(五嶋実辞)、桝谷悦郎、加藤武士、(大塚新吉)
- 録音補 : (河野貞壽)
- 録音補助 : 河野貞嘉、(土岐良吉)、(金谷常二郎)、(奥村泰三)
- 主題歌 作詞 : (湯淺みか)
- 伴奏 : (松竹管絃樂團)
- 洋楽 : (直川哲也)
- 和楽 : (杵屋正一郎)
- 現像 : (富田重太郎)
- 焼付 : (坪内鉚輔)
- 字幕 : 望月淳
- 製作 : 松竹京都撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明(7巻[12] / 不明) / 現存版 63分(NFC所蔵[13])
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - モノラル録音(発声版トーキー)
- 公開日 : 日本 1935年7月14日
- 配給 : 松竹キネマ
- 初回興行 : 浅草公園六区・帝国館
キャスト
- 林長二郎 - 大岡越前守
- 坂東好太郎 - かごや権三
- 高田浩吉 - かごや助十
- (坂東橘之助) - かごや助八
- 林敏夫 - 彦兵衛伜 彦三郎
- 飯塚敏子 - 権三女房 おかん
- (井上久栄) - 越前守奥方
- 花岡菊子 - お春
- (志賀靖郎) - 大家 六兵衛
- 新妻四郎 - 長屋の浪人
- (坪井哲) - 岡っ引
- 高松錦之助 - 米屋 市郎兵衛
- (沢井三郎) - 黒川勘十郎
- 広田昴 - 八卦見了雲堂
- (井上晴夫) - 小間物屋 彦兵衛
- 永井柳太郎 - 風呂屋の客
- (山路義人) - 石子伴作
- (日下部龍馬) - 与力
- (竹内容一) - 長屋の住人 晋化僧
- (石原須磨夫) - 長屋の住人 定斎屋
- 石川冷 - 長屋の住人 大工
- (中川信一郎) - 願人坊主雲哲
- (百崎志磨夫) - 屋主八左衛門
- (征木欣之助) - 屋主市兵衛
- (青木弘光) - 奉行所書記
- 中川芳江 - 米屋の隠居 おます
- (葵令子) - 米屋女中お元
1936年の映画
権三助十 捕物大騒動 | |
---|---|
監督 | (山口哲平) |
脚本 | (板間清彦) |
原作 | 板間清彦 |
出演者 | (若月輝夫) 住ノ江田鶴子 |
撮影 | 松本喜太郎 |
製作会社 | 極東映画 |
配給 | 極東映画 |
公開 | 1936年 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三助十 捕物大騒動』(ごんざすけじゅう とりものおおそうどう)は、1936年(昭和11年)製作・公開、(山口哲平)監督による日本の劇映画、サイレント映画である[14][15]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (山口哲平)
- 原作・脚色 : (板間清彦)
- 撮影 : 松本喜太郎
- 製作 : 極東映画
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - サイレント映画
- 公開日 : 日本 1936年
- 配給 : 極東映画
- 初回興行 : 不明
キャスト
- (若月輝夫) - 権三
- 住ノ江田鶴子
- (美島春枝)
- (菊池双三郎)
- (中山介二郎)
- (小川重四郎) - 助十
- (大海原一誠)
- (小島陽三)
1938年の映画 1
権三助十 鶴一番大当り | |
---|---|
監督 | (山口哲平) |
脚本 | (多々羅三平) |
原作 | 多々羅三平 |
出演者 | 綾小路絃三郎 月澄江 (伊勢原浩太郎) |
撮影 | (角野茂彦) |
製作会社 | 極東キネマ古市撮影所 |
配給 | 極東キネマ |
公開 | 1938年2月11日 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三助十 鶴一番大当り』(ごんざすけじゅう つるのいちばんおおあたり)は、1938年(昭和13年)製作・公開、(山口哲平)監督による日本の劇映画、サイレント映画((解説版))である[16][17]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (山口哲平)
- 原作・脚色 : (多々羅三平)
- 撮影 : (角野茂彦)
- 製作 : 極東キネマ古市撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明(4巻 / 不明)
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - サイレント映画((解説版)、モノラル録音)
- 公開日 : 日本 1938年2月11日
- 配給 : 極東キネマ
- 初回興行 : 大阪・(芦辺劇場)
キャスト
1938年の映画 2
権三助十 天狗退治 | |
---|---|
監督 | (山口哲平) |
脚本 | (多々羅三平) |
原作 | 多々羅三平 |
出演者 | 綾小路絃三郎 (伊勢原浩太郎) |
撮影 | (鵜川利幸) |
製作会社 | 極東キネマ古市撮影所 |
配給 | 極東キネマ |
公開 | 1938年7月14日 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三助十 天狗退治』(ごんざすけじゅう てんぐたいじ)は、1938年(昭和13年)製作・公開、(山口哲平)監督による日本の劇映画、サイレント映画((解説版))である[18][19]。東京国立近代美術館フィルムセンターは、「22分尺」の35mmフィルム本作の上映用プリントを所蔵している[19]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (山口哲平)
- 原作・脚色 : (多々羅三平)
- 撮影 : (鵜川利幸)
- 製作 : 極東キネマ古市撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明(4巻 / 不明)
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - サイレント映画((解説版)、モノラル録音)
- 公開日 : 日本 1938年7月14日
- 配給 : 極東キネマ
- 初回興行 : 浅草公園六区・(遊楽館)
キャスト
1939年の映画
初笑ひかごや判官 | |
---|---|
監督 | (橋本松男) |
脚本 | (那知朱太郎) |
原作 | 那知朱太郎 |
出演者 | (辰巳好太郎) (林喜美枝) (有島鏡子) |
撮影 | (奥田陽三) |
製作会社 | 全勝キネマ |
配給 | 全勝キネマ |
公開 | 1939年12月31日 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『初笑ひかごや判官』(はつわらい かごやはんがん)は、1938年(昭和13年)製作・公開、(橋本松男)監督による日本の劇映画、サイレント映画((解説版))である[20][21]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 監督 : (橋本松男)
- 原作・脚色 : (那知朱太郎)
- 撮影 : (奥田陽三)
- 製作 : 全勝キネマ
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明(4巻 / 不明)
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - サイレント映画((解説版)、モノラル録音)
- 公開日 : 日本 1939年12月31日
- 配給 : 全勝キネマ
- 初回興行 : 浅草公園六区・(遊楽館)
キャスト
- (辰巳好太郎)
- (林喜美枝)
- (有島鏡子)
1940年の映画
権三と助十 | |
---|---|
監督 | (古野栄作) 堀内真那夫 |
脚本 | (御手洗一夫) |
出演者 | 坂東好太郎 高田浩吉 海江田譲二 |
撮影 | (横光信雄) 照明 (佐々木政一) |
製作会社 | 松竹下加茂撮影所 |
配給 | 松竹キネマ |
公開 | 1940年11月16日 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三と助十』(ごんざとすけじゅう)は、1940年(昭和15年)製作・公開、(古野栄作)・堀内真那夫の共同監督による日本の劇映画、トーキーである[22][23]。権三と助十を演じるのは、5年前の『かごや判官』(1935年)に引き続き、坂東好太郎、高田浩吉である[11][12][22][23]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 演出 : (古野栄作)、堀内真那夫
- 脚本 : (御手洗一夫)
- 撮影 : (横光信雄)
- 照明 : (佐々木政一)
- 音楽 : (高橋虎之助)
- 設計 : 渡辺昭
- 録音 : (迫田六行)
- 現像 : (坪内鉚輔)
- 演出補助 : (小田暢)
- 撮影補助 : (長谷川九一郎)
- 製作事務 : (森伸三郎)
- 製作 : 松竹下加茂撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明(8巻 / 不明)
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - 24fps - モノラル録音
- 公開日 : 日本 1940年11月16日
- 配給 : 松竹キネマ
- 初回興行 : 新宿・国際劇場
キャスト
1956年の映画
権三と助十 かごや太平記 | |
---|---|
監督 | 斎藤寅次郎 |
脚本 | (中田竜雄) |
製作 | 福島通人 |
出演者 | 堺駿二 益田キートン 星美智子 花菱アチャコ |
音楽 | 宅孝二 |
撮影 | (福島宏) 照明 (城田昌貞) |
編集 | (長沢嘉樹) |
製作会社 | 東映東京撮影所 |
配給 | 東映 |
公開 | 1956年6月21日 |
上映時間 | 59分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『権三と助十 かごや太平記』(ごんざとすけじゅう かごやたいへいき)は、1956年(昭和31年)製作・公開、斎藤寅次郎の監督による日本の劇映画、トーキーである[24][25]。2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵しておらず、戦後の作品ながら、現存していないとみなされるフィルムである[6][7]。
スタッフ・作品データ
- 企画 : 福島通人
- 監督 : 斎藤寅次郎
- 脚本 : (中田竜雄)
- 音楽 : 宅孝二
- 撮影 : (福島宏)
- 照明 : (城田昌貞)
- 美術 : (中島敏夫)
- 録音 : (小松忠之)
- 編集 : (長沢嘉樹)
- スチル写真 : (田中牧夫)
- 監督補佐 : (加島昭)
- 進行主任 : (今関一雄)
- 製作 : 東映東京撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 59分(6巻 / 1,612メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - (スタンダードサイズ)(1.37:1) - 24fps - モノラル録音
- 映倫番号 : 2203
- 公開日 : 日本 1956年6月21日
- 配給 : 東映
- 初回興行 : 新宿・国際劇場
キャスト
脚注
- ^ a b c d e 岡本[1956], p.349-354.
- ^ a b c 世界大百科事典『(《権三と助十》)』 - コトバンク、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三助十、国立国会図書館、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b c 権三と助十(1923年) - 日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ 岡本綺堂 - 日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三と助十(1926年)、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三と助十(1926年)、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三助十、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b かごや判官、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b c かごや判官、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b c かごや判官、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三助十 捕物大騒動、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三助十 捕物大騒動、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三助十 鶴一番大当り、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三助十 鶴一番大当り、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b 権三助十 天狗退治、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b c 権三助十 天狗退治、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月11日閲覧。
- ^ 初笑ひかごや判官、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ 初笑ひかごや判官、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b 権三と助十(1940年)、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ a b 権三と助十(1940年)、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三と助十 かごや太平記(1940年)、日本映画データベース、2013年1月11日閲覧。
- ^ 権三と助十 かごや太平記(1940年)、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月11日閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 1923年の映画
- 権三と助十(1923年) - 日本映画データベース
- 1926年の映画
- 権三と助十(1926年) - 日本映画データベース
- 権三と助十(1926年) - 日本映画情報システム (文化庁)
- 1932年の映画
- 権三助十 - 日本映画データベース
- 1935年の映画
- かごや判官 - 日本映画データベース
- かごや判官 - 日本映画情報システム (文化庁)
- かごや判官 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- かごや判官 - KINENOTE
- かごや判官 - allcinema
- 1936年の映画
- 権三助十 捕物大騒動 - 日本映画データベース
- 権三助十 捕物大騒動 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 1938年の映画
- 権三助十 鶴一番大当り - 日本映画データベース
- 権三助十 鶴一番大当り - 日本映画情報システム (文化庁)
- 権三助十 天狗退治 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 権三助十 天狗退治 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 1939年の映画
- 初笑ひかごや判官 - 日本映画データベース
- 初笑ひかごや判官 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 1940年の映画
- 権三と助十(1940年) - 日本映画データベース
- 権三と助十(1940年) - 日本映画情報システム (文化庁)
- 1956年の映画