樋高 リオ(ひだか リオ、男性、1981年2月5日 - )は、日本のプロボクサー。オーストラリアで活動を開始。デビューはニュージーランドのオークランドで2R失神KO勝ち。同年日本に呼ばれての日本デビュー試合。この試合は3R KO勝ち。その後オーストラリアで試合をし、2009年より仲里・ATSUMIボクシングジム所属となる。西日本新人王に輝いた。2012年12月の仲里・ATSUMIボクシングジムの分裂により渥美ボクシングジム所属となった。2014年に日本を引退し、2015年にフリー宣言をした。同年フィリピンでWBCアジアヘビー級王座を獲得している。東洋圏のタイトルを制したのは日本人初。大阪府東大阪市出身。
来歴
杉田茂が代表を務めるウエイトトレーニングジム"Mr.U Gym"で元アマチュア世界王者のトレーナーと出会い見出され、オーストラリアに渡り、現地のプロライセンス取得。
2006年8月31日、ニュージーランドでデビュー戦を行い、2回KO勝利。
その後、JBCライセンスも取得し、2006年10月29日にIMPホールでの白坂貴昌(現・(タカシラサカ))戦で国内デビュー。3回KO勝利。
オーストラリア時代は4戦4勝3KO 帰国。当時大阪プロレスを離れてボクシングに挑戦していたゼウス(ゼウス金谷)とトレーニングを共にしたのがきっかけで、2009年に仲里・ATSUMIボクシングジムに。[1]。
2010年5月8日、大阪府立体育会館にて名城信男のWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチの前座として金起男(韓国)と対戦し、4年ぶりの国内戦を3回TKO勝利で飾る。
2011年に創設された西日本ヘビー級新人王決定トーナメントにエントリー。4月10日、その1回戦としてマサ竹蔵と対戦し、1回TKO勝利。
2011年9月11日、決勝戦としてタカシラサカと対戦し、2回KO勝利で初代西日本ヘビー級新人王を獲得した[2][3]。
2012年12月、仲里・ATSUMIボクシングジムの分裂により西日本ボクシング協会初の女性会長である渥美富士子が会長を務め、第21代・第23代日本ジュニアミドル級王者大東旭が会長代行を務める渥美ボクシングジム所属となる。
2013年2月17日、クラレンス・ティルマン(アメリカ合衆国)と8回戦を行い大差判定勝利し、デビュー戦からの全勝記録を10に伸ばした[4]。
2013年5月24日、フランスのK-1ファイターグレゴリー・トニーと対戦し、互いに手数が少ない中、身長、リーチ共に勝るトニーが優勢で試合を進め結局そのまま試合が終了し0-3の判定負けで11戦目にして連勝はストップしプロ初黒星となった[5]。
2013年7月25日、後楽園ホールで行われた日本タイトル次期挑戦者決定戦で竹原虎辰と対戦し、0-3(74-78、75-78、76-77)の判定負けを喫し日本ヘビー級王座への挑戦権獲得に失敗した[6]。
2014年1月28日、JBCは最新ランキングを発表し、樋高は日本ヘビー級ランキングから外れる[7]。同月31日、OPBFは最新ランキングを発表し、樋高はOPBF東洋太平洋ヘビー級ランキングから外れる[8][9]。理由は樋高の日本引退、フリー宣言し、渡米によるものである。
2015年2月15日、フィリピンリサール州アンゴノで(デビッド・コスワラ)(インドネシア)とWBCアジア(ABCOコンチネンタル)ヘビー級王座決定戦を行い、1回1分1秒失神KO勝ちで王座獲得に成功した。 翌年、同王座を返上。
戦績
- プロボクシング:14戦12勝(10KO)2敗
獲得タイトル
関連項目
脚注
- ^ 久高、世界へ足腰強化 仲村らと名護合宿 沖縄タイムス 2010年6月9日閲覧
- ^ “日本初、ヘビー級新人王に樋高リオ ボクシング西日本”. 朝日新聞. (2011年9月11日)
- ^ “西日本新人王戦 樋高らがV/ボクシング”. 日刊スポーツ. (2011年9月12日)
- ^ “ヘビー級樋高が不敗の10連勝マーク”. ボクシングニュース「Box-on!」. (2013年2月18日)
- ^ “ヘビー級 樋高の連勝止まる”. ボクシングニュース「Box-on!」. (2013年5月25日)
- ^ “藤本がKOでピーター下す 日本ヘビー級決定戦”. ボクシングニュース「Box-on!」. (2013年7月25日)
- ^ 2014 JANUARY RATINGS 日本ボクシングコミッション(JBC) 2014年1月28日
- ^ OPBF January Ratings 2014 Oriental and Pacific Boxing Federation 2014年1月31日
- ^ OPBF1月度ランキング、新たに2階級で王座空位に Boxing News(ボクシングニュース) 2014年1月31日