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桜川忠七

桜川 忠七(さくらがわ ちゅうしち、1889年9月20日 - 1961年7月19日[1])は、日本俳優幇間[2][3]。本名は浜野 夏次郎(はまの なつじろう)。

さくらがわ ちゅうしち
桜川 忠七
本名 浜野 夏次郎(はまの なつじろう)
生年月日 (1889-09-20) 1889年9月20日
没年月日 (1961-07-19) 1961年7月19日(71歳没)
出生地 日本 千葉県印旛郡佐倉町(現在の同県佐倉市
職業 俳優幇間
ジャンル 舞台映画テレビドラマ
活動期間 1908年 - 1961年
著名な家族 (杵屋三重吉)(実母)
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来歴・人物

1889年9月20日千葉県印旛郡佐倉町(現在の同県佐倉市)に生まれる。父・虎蔵は元佐倉藩の武士で、明治維新後、新政府のもとで判事となる。母は(杵屋三重吉)である。

1894年、父の大酒が原因で脳を患い失職したため生活が苦しくなり、家族と共に上京。浅草区山谷元吉町(現在の東京都台東区)に移住する。1896年、千束小学校(現在の(台東区立千束小学校))に入学するが、1897年に中退。麹町の(西洋野菜屋)を経て神田・(楽隊屋)になるが続かず、家に戻る。母に長唄を習っていた芸者の使い走りで廓に出入りするようになったのがきっかけで、引手茶屋の事務所の茶屋回りとなる。

1908年幇間の(桜川忠孝)に弟子入りする。年季奉公5年、御礼奉公1年の後に一本立ちして、1917年に(常磐木倶楽部)と(日本橋倶楽部)で名披露目式を行い、桜川忠七と名乗る。以後も幇間として活動し、戦後は長老格として最後の江戸情緒を守った。その軽妙洒脱な芸を買われ、(三越名人会)で『獅子舞い』を踊ったのを始め、新派花柳章太郎の舞台『(遊女夕霧)』に出演し、マスコミの対談など数多くの表舞台でも活躍した。

映画も戦後から出演するようになり、1955年五所平之助監督映画『たけくらべ』で吉原の幇間役を演じたほか、『(おしゃべり社長)』『(妖刀物語 花の吉原百人斬り)』など、ほぼ同様の役柄で出演。川口松太郎久保田万太郎吉井勇などの文人や政財界人の贔屓も多く、「吉原の名物男」として広く知られた。また、著書に芸談『たいこもち』((朱雀社))がある。

1961年7月19日、死去した。満71歳没。

出演作品

映画

テレビ

脚注

  1. ^ 1961年月日不明に死去、または没年不明と表記している資料有り。
  2. ^ 『日本映画人名事典 男優篇 上巻』キネマ旬報社、1996年。 
  3. ^ 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年。

外部リンク

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