桜ヶ池(さくらがいけ)は、富山県南砺市立野原東にあるため池[1]。周囲約3kmの人造湖である[2]。2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定された[3]。また桜ヶ池県定公園として指定されている。
概要
東海北陸自動車道桜ヶ池ハイウェイオアシスに隣接する砺波平野を一望する高台にあり、530haの灌漑を行っている。水源は袴腰山の水源涵養林の水を(砺波ダム)に貯水し、その一部を導水している。
経緯
旧城端町南西部の地域では、一級河川小矢部川水系山田川の水を利用していたが流量が少ないため、常に水不足で、旱魃のたびに水争いがおこった。1935年(昭和10年)頃に、「山田川沿岸耕地整理組合」井口仁志組合長を中心に、山田川に堰堤を築きダム湖を造る「山田川沿岸水利補給事業」計画がされたが当時の技術では不可能であったため(しかし、のちに「城端ダム」が完成している)、立野ヶ原演習地内(日本陸軍第9師団野砲演習場)にため池を作るため、陸軍や県に陳情し、1941年(昭和16年)7月に着工1954年(昭和29年)に完成した。[4]
尚、1900年(明治33年)、1920年(大正9年)に現桜ヶ池湖底や周辺の台地に西原村があったが、陸軍実弾演習の為の用地買収に伴い上原に移転している。立野原遺跡群(富山県下最大の後期旧石器時代の遺跡群。特徴的な「立野原型ナイフ」など知られる)が見つかっている。
西原村:小西源右ヱ門という壇ノ浦の合戦から逃れきた平家の落武者が洞穴を掘って雨露をしのいでいたところを住民が見つけ、食糧を運んだことが縁となり西原の住民となった。この洞穴は昭和中期まで残っていたよう。小西源右ヱ門の子孫は1900年(明治33年)の用地買収の際に京都へ移住した。明治初期には最大の繁栄を迎えていたようである。
桜ヶ池公園
湖畔には、戦後800本のサクラと400株のツツジが植栽され、公募により「桜ヶ池」と名付けられ、「富山県南砺市桜ヶ池公園(自遊の森)」[5]として整備され地域域の人々に親しまれている。
公園内にはコテージ、野外バーベキュー、バーベキューハウス【自由自遊家-ジュウジュウハウス】や公共浴場等多数の施設がある。
周辺には里山特有の生物が数多く生息しており、地元の小学校で、絶滅危惧種のギフチョウの育成と池周辺での放蝶を行っている。
沿革
- 1973年(昭和48年) - 小矢部川総合開発、県営開拓パイロット事業による周辺の基盤整備により農業が大型化。
- 1983年(昭和58年) - 上見、上原、南原三地区で立野原営農生産組合を結成。
- 1985年(昭和60年) - 塔尾を加えた4地区で桜ヶ池村づくり協議会を結成。
- 1988年(昭和63年) - 農林省の新農業構造改善事業によって、自然活用総合施設管理棟が完成。
- 1989年(平成元年) - 自然活用総合施設外構施設、コテージ8棟が完成、同年桜ヶ池村づくり協議会により「自由の森」の営業が開始。
- 1992年(平成4年) - 農村広場テニスコートが完成。
- 1994年(平成6年) - 「自由自由家(じゅうじゅうはうす)」完成、自由の森企業組合の設立が認可。
- 1999年(平成11年) - 第3セクター「ジェイウイング」が設立、翌年には桜ヶ池クアガーデンの営業開始。
- 2000年(平成12年) - 東海北陸自動車道福光インターチェンジ - 五箇山インターチェンジ間が開通。
- 2000年 (平成12年) -富山国体開催時に桜ヶ池クライミングセンターが設置される。
- 2001年(平成13年) - ヨッテカーレ城端が南砺農業協同組合により出店。
- 2013年 (平成25年) -桜ヶ池公園スケートパーク運営開始。
- 2020年 (令和2年) -桜ヶ池クライミングセンターが北陸電気工事(富山市)と平野電業(同)に事業譲渡される。
- 2021年 (令和3年) -自由の森が株式会社ガラパゴスに事業譲渡され「ガラパゴスキャンピングパーク〜桜ヶ池自由の森〜」と名称が変更になる。
- 2022年(令和4年) -城端スマートIC着工。
- 2022年 (令和4年) -パーク内コテージ棟にフィンランド式屋外サウナ、バレル富山が開設される
- 2023年 (令和5年) -ゴールドウィンにより、自然の中で遊びと学びが体験できる施設「GOLDWIN PLAY EARTH PARK」の事業構想が発表される。
アクセス
道路
公共交通機関
脚注
関連項目
外部リンク
- 桜ヶ池 (農林水産省)
- ため池百選-富山県
- ダム便覧(財団法人日本ダム協会) 桜ヶ池