桃井(ももい)は、東京都杉並区にある地名。現行行政地名は桃井一丁目から桃井四丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は167-0034[2]。
地理
杉並区の北西部に位置する。町域の東は環八通り(東京都道311号環状八号線)、南は青梅街道(東京都道4号東京所沢線・東京都道5号新宿青梅線)が隣接町域との境となっており、東から西へ一丁目から四丁目が並んでいる。
練馬区南部から杉並区西部を経て武蔵野市東部にかけては、三宝寺池、善福寺池、井の頭池等に見られるように古くから豊富な地下水と湧水が多く、桃井にも「桃の井」と呼ばれる湧水がある。現在も桃井二丁目にある桃井第一小学校内に「桃の井」は存在するが、現在では、自然湧水ではなくポンプによって地下水が汲み上げられている。
関東大震災を契機として、都心から郊外への人口移動が進む中で、比較的早期に区画整理が行われたため、域内の道路はほぼ東西南北に規則正しく伸びている。
地価
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、桃井4-12-21の地点で64万3000円/m2となっている[4]。
地名の由来
桃井の名の由来は、明治8年に地域内に建てられた桃井第一小学校に因んでおり、当学校は東京・中野の桃園学校(現在の中野区立桃園小学校)の分校として創設された。翌明治9年に独立した際に桃園の「桃」と当地の旧村名である遅野井村の「井」から名をとって「桃井」と称したといわれている。また桃井が杉並区の町名となったのは戦後の1964年、当地区に住居表示が実施されたときである。
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
主な公共施設
- (杉並区立桃井第一小学校)(桃井二丁目)
- 校歌の冒頭で「明らけく治まる御代の八年(やとせ)春、明けし学びの我が窓は・・・」と謳われているとおり、明治8年に開校した、杉並区立杉並第一小学校と並び、区内で最も古い小学校のひとつ。名前に桃井とつく小学校は桃井第一小学校から桃井第五小学校まであるが、町域としての桃井に存在するのは桃井第一小学校のみである。
- 荻窪郵便局(桃井二丁目)
- 杉並区の北西部、郵便番号167地域を受け持つ集配局。
- 荻窪警察署(桃井三丁目)
- 杉並区の北西部を管轄する警察署。玄関手前向かって左側に「ピーポーハウス」と呼ばれる鳥小屋があり、小鳥が飼育されている。
- 荻窪消防署(桃井三丁目)
- 杉並区の北西部を管轄する消防署。荻窪警察署と隣接している。
- 杉並区立勤労福祉会館・西荻地域区民センター(桃井四丁目)
- 杉並区立の施設であり、集会などに利用することができる。
史跡など
- 旧井荻町役場跡(桃井二丁目)
- 桃井第一小学校正門手前の青梅街道に面した場所にある。
- 中島飛行機東京工場跡・日産自動車荻窪工場跡(桃井三丁目)
- 桃井三丁目の殆どすべての部分(約9万平米)は、日産自動車荻窪工場として使用されていた。もともとは、大正14年に建設された中島飛行機東京工場であり、以後、富士精密工業、プリンス自動車工業、日産自動車の工場となった。
- この工場では国産ロケットの開発などが行われていたが、1998年に日産自動車宇宙航空事業部が群馬県富岡市に移転したため、工場は閉鎖された。
- 以後、独立行政法人都市再生機構により跡地は防災公園(約4ヘクタール)と市街地(約5ヘクタール)を一体的に整備する「杉並区桃井三丁目プロジェクト」として開発された。市街地には、民間分譲住宅(in the Park荻窪)、民間賃貸住宅(ロイヤルパークス荻窪)、UR賃貸住宅(プロムナード荻窪)、スーパーマーケット(クイーンズ伊勢丹)、介護老人保健施設、保育所等が建設され、防災公園としては桃井原っぱ公園が開設されている。
- この地が中島飛行機や日産自動車の跡地であったことは、「中島飛行機発祥地」と記された石碑と桃井3丁目南西部にある日産プリンスの営業所がそれを示すのみである。
脚注
外部リンク
- 杉並区