栢木 節蔵(かやぎ せつぞう、1846年10月2日(弘化3年8月12日)[1] - 1904年(明治37年)9月13日)は、日本の実業家、海運業者、政治家。境町会議員[1]。
経歴
近江国蒲生郡(現滋賀県)に生まれ、境村(現鳥取県境港市、旧境町)栢木五平の養子となる[2]。
幕末から回船問屋を営み、明治期には(三菱汽船)をはじめ、日本郵船、大阪商船、隠岐汽船と主要汽船の代理店、三井物産山陰特約店などを引き受け、境港海運界の中心人物として活躍した[3]。
1878年(明治11年)2月18日には、境町栄町一丁目、栢木節蔵の有する家屋、土蔵を借り受け三菱会社境出張所が開設された[2]
脚注
参考文献
- 小泉憲貞編『境港沿革史』小泉憲貞、1915年。