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柳谷村

柳谷村(やなだにむら)は、かつて愛媛県中予地方にあったである。

やなだにむら
柳谷村
柳谷村旗 柳谷村章
1969年昭和44年)12月25日制定
廃止日 2004年8月1日
廃止理由 対等合併
柳谷村久万町面河村美川村久万高原町
現在の自治体 久万高原町
廃止時点のデータ
日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 愛媛県
上浮穴郡
市町村コード 38384-8
面積 126.55 km2
総人口 1,348
(2000年10月1日)
隣接自治体 上浮穴郡美川村・小田町東宇和郡野村町
高知県高岡郡檮原町仁淀村東津野村吾川郡吾川村
村の木
柳谷村役場
所在地 791-1801
愛媛県上浮穴郡柳谷村大字柳井川923番地
外部リンク 柳谷村
国立国会図書館
座標 北緯33度33分09秒 東経133度00分14秒 / 北緯33.55258度 東経133.004度 / 33.55258; 133.004座標: 北緯33度33分09秒 東経133度00分14秒 / 北緯33.55258度 東経133.004度 / 33.55258; 133.004
ウィキプロジェクト
(テンプレートを表示)

2004年8月1日、上浮穴郡内の久万町面河村美川村とともに合併し久万高原町となった。

概要

 
当村のV字状の例
柳井川(落出)集落で撮影。

愛媛県の中予地域の四国山地のV字状の渓谷に位置し、高知県との県境に位置していた。当村の面積の約9割は山岳地域であり、残りの1割の面積に田・畑・集落が点在していた[1]

地理

愛媛県の中部で、高知県と接していた。仁淀川の上流の一つである面河川とその支流の上流域のv字渓谷の山村だった。山は高いところで標高1,500メートルに達する。これらの4箇所の山を結ぶとほぼ整った平行四辺形になり、均整の取れている場所であることから、その真ん中に集落があった[1][2]

4箇所の山の位置
山名 標高 中心地から見た方角 備考
中津山 1541m 北東
大川嶺 1525m 北西 小田町、美川村との境目
天狗高原 1485m 南東 高知県との境目
姫草 1300m 南西

気候

瀬戸内海式気候であるが、四国山地の山間部に位置するため、松山市中心部より、平均気温が低かった。平均標高約250mの旭地区と平均標高約800mの中久保地区では約5度から6度差があり、国道33号四国カルストとでは約10度以上差があった[3]。夏場には台風が襲来し[4]、冬場は山間部のため、早いときには11月下旬に初雪が降り、遅いときには3月下旬まで降雪があった[5]

人口

山林景気に沸いた当時には人口も多かったが、末期は極端に少子高齢化した山村となっていた。

歴史

藩政期には松山藩領であった。

1900年以前

1900年代 - 1950年代

1960年代

1970年代

1980年代以降

行政

  • 平成の市町村合併
    柳谷村は山村であるため広い面積に集落が点在するうえ、一番本庁が遠いといったデメリットはあるものの、今後の市町村財政の厳しさなどを考え合わせると、上浮穴郡内でともに歩んできた町村との合併は自然な流れであり、避けて通ることのできない道でもあった。
    結果的に、小田町は上浮穴郡の枠組みから外れたかたちとなったが、このことについては柳谷村を含む新町である久万高原町または小田町のページを参照のこと。

経済・産業

林業が主体。農業は傾斜地であることから自給的に営まれている程度。水力発電所がある関係で、他の山村よりも所得数字的には上位にあった。

教育

高等学校

村内に高等学校はなかった。久万町(現: 久万高原町)の愛媛県立上浮穴高等学校が最寄りの高等学校だった。

中学校

1961年以前は以下の3校だった[15]

  • 柳谷村立柳井川中学校
  • 柳谷村立西谷中学校
  • 柳谷村立中津中学校

1961年に統合して下記となる(元の各校を「分室」とする)[15]

1964年に分室を一本化[15](旧柳井川分室が存続)。
久万高原町への合併後の2015年に閉校[15]
小学校
  • 柳谷村立柳井川小学校[注釈 2](久万高原町合併後の2005年西谷小と統合し久万高原町立柳谷小学校となる)[15]
  • 柳谷村立西谷小学校[注釈 3](2005年柳井川小と統合し柳谷小へ)[15]
  • 柳谷村立中津小学校[注釈 4]鉢分校(1950年柳谷第一小へ統合)[15]
  • 柳谷村立柳谷第二小学校(1958年9月30日統合により西谷小へ)[16]
  • 柳谷村立柳谷第二小学校名荷分教場(同上)[16]
  • 柳谷村立柳谷第二小学校古味分教場(同上)[16]
  • 柳谷村立中津小学校[注釈 4](2001年柳井川小へ統合)[15]

交通

国道33号に依存しており、この道路が久万町(現: 久万高原町)の中心部につながる唯一の道路だった。

鉄道

村内に鉄道はなかった。

道路

国道

  • 国道33号
    国道33号が村内を縦貫する幹線道だった。ただ、四国山地の真っ只中であり、地形も険しいため、雨量が基準に達すると通行止めになる通行規制区間があった。そのゲートが柳谷村の中心集落である柳井川を挟む形で、松山側と高知側にあった。通行規制が開始されると、国道33号が中心幹線である柳谷村は山の中で孤立したような状態になった[要出典]
    村外に用務等で出かけている人は、雨の具合をみて仕事を早めに切り上げて帰宅する等の自発的対応をしていた[要出典]
    以前は豪雨による土砂崩れ・通行止めが多発していたが、洞門の設置により通行止めになるような土砂崩れは末期にはほとんど見られなくなっていた[要出典]
  • 国道440号
    国道33号の柳井川から分岐して、地芳峠を越えて、高知県高岡郡檮原町へと通じていた。

県道

観光

名所

その他

 
ごうかくバス停
  • 落出(柳井川) - 古味(西谷)の途中に「ごうかく」という村営バスのバス停があった(久万高原町となってからも所在)。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 現行の久万高原町の「久万高原町有代替自動車施設条例」の附則には「柳谷村有代替自動車施設の設置及び管理運営等に関する条例」は「平成2年柳谷村条例第8号」と記載されている[14]
  2. ^ 1959年柳谷村立柳谷第一小学校を改称
  3. ^ 1958年柳谷村立柳谷第二小学校を改称
  4. ^ a b 1955年柳谷村立久主小学校を改称

出典

  1. ^ a b 『柳谷村誌』p.9
  2. ^ 『柳谷村誌』p.43
  3. ^ 『柳谷村誌』p.30
  4. ^ 『柳谷村誌』p.32
  5. ^ 『柳谷村誌』p.34
  6. ^ 佐川-久万間省営バスが全通『大阪朝日新聞』昭和10年7月18日(愛媛版)
  7. ^ 『柳谷村誌』p.889
  8. ^ 『柳谷村誌』p.37
  9. ^ 『柳谷村誌』p.893
  10. ^ 『柳谷村誌』p.282
  11. ^ 『柳谷村誌』p.287
  12. ^ 『柳谷村誌』p.897
  13. ^ 『柳谷村誌』p.900
  14. ^ 久万高原町有代替自動車施設条例 - 久万高原町
  15. ^ a b c d e f g h 沿革 - 久万高原町立柳谷小学校(内容はリンクされているPDFファイルを参照)
  16. ^ a b c 愛媛県生涯学習センター データベース『えひめの記憶』 柳谷村誌

参考文献

  • 柳谷村誌編纂委員会『柳谷村誌』愛媛県上浮穴郡柳谷村、1984年3月20日。 

関連項目

外部リンク

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