柳谷村(やなだにむら)は、かつて愛媛県の中予地方にあった村である。
やなだにむら 柳谷村 | |
---|---|
廃止日 | 2004年8月1日 |
廃止理由 | 対等合併 柳谷村、久万町、面河村、美川村→久万高原町 |
現在の自治体 | 久万高原町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 上浮穴郡 |
市町村コード | 38384-8 |
面積 | 126.55 km2 |
総人口 | 1,348人 (2000年10月1日) |
隣接自治体 | 上浮穴郡美川村・小田町・東宇和郡野村町 高知県高岡郡檮原町・仁淀村・東津野村・吾川郡吾川村 |
村の木 | 杉 |
柳谷村役場 | |
所在地 | 〒791-1801 愛媛県上浮穴郡柳谷村大字柳井川923番地 |
外部リンク | 柳谷村 (国立国会図書館) |
座標 | 北緯33度33分09秒 東経133度00分14秒 / 北緯33.55258度 東経133.004度座標: 北緯33度33分09秒 東経133度00分14秒 / 北緯33.55258度 東経133.004度 |
ウィキプロジェクト |
概要
愛媛県の中予地域の四国山地のV字状の渓谷に位置し、高知県との県境に位置していた。当村の面積の約9割は山岳地域であり、残りの1割の面積に田・畑・集落が点在していた[1]。
地理
愛媛県の中部で、高知県と接していた。仁淀川の上流の一つである面河川とその支流の上流域のv字渓谷の山村だった。山は高いところで標高1,500メートルに達する。これらの4箇所の山を結ぶとほぼ整った平行四辺形になり、均整の取れている場所であることから、その真ん中に集落があった[1][2]。
- 4箇所の山の位置
気候
瀬戸内海式気候であるが、四国山地の山間部に位置するため、松山市中心部より、平均気温が低かった。平均標高約250mの旭地区と平均標高約800mの中久保地区では約5度から6度差があり、国道33号と四国カルストとでは約10度以上差があった[3]。夏場には台風が襲来し[4]、冬場は山間部のため、早いときには11月下旬に初雪が降り、遅いときには3月下旬まで降雪があった[5]。
人口
山林景気に沸いた当時には人口も多かったが、末期は極端に少子高齢化した山村となっていた。
歴史
藩政期には松山藩領であった。
1900年以前
1900年代 - 1950年代
- 1935年(昭和10年) - 現国道33号線の改修工事が終了。大型自動車の通行が可能となり、隣県の土讃本線佐川駅 - 久万町を結ぶ省営バスが村内で営業開始[6]。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 中津村の一部(稲村)を柳谷村に編入する。
1960年代
- 1963年(昭和38年)1月25日 - 三八豪雪が発生し、村内も被害があり、雪害対策本部が設置される。[7]積雪量は同年1月31日に83㎝・同年2月1日に75cm・同年2月28日に72㎝であった[8]。
- 1969年(昭和44年)12月25日 - 村章・正賞条例を制定する[9]。
1970年代
- 1973年(昭和48年)6月28日 - 「野村・柳谷境界紛争[10]」の紛争地であった東宇和郡野村町との境界が確定する。その結果、当村側は面積が0.68㎢狭くなった[11]。
- 1975年(昭和50年)11月2日 - 合併20周年記念式典を開催する[12]。
1980年代以降
行政
経済・産業
林業が主体。農業は傾斜地であることから自給的に営まれている程度。水力発電所がある関係で、他の山村よりも所得数字的には上位にあった。
教育
- 高等学校
村内に高等学校はなかった。久万町(現: 久万高原町)の愛媛県立上浮穴高等学校が最寄りの高等学校だった。
- 中学校
1961年以前は以下の3校だった[15]。
- 柳谷村立柳井川中学校
- 柳谷村立西谷中学校
- 柳谷村立中津中学校
1961年に統合して下記となる(元の各校を「分室」とする)[15]。
交通
- 国道33号に依存しており、この道路が久万町(現: 久万高原町)の中心部につながる唯一の道路だった。
鉄道
- 村内に鉄道はなかった。
道路
国道
- 国道33号
- 国道33号が村内を縦貫する幹線道だった。ただ、四国山地の真っ只中であり、地形も険しいため、雨量が基準に達すると通行止めになる通行規制区間があった。そのゲートが柳谷村の中心集落である柳井川を挟む形で、松山側と高知側にあった。通行規制が開始されると、国道33号が中心幹線である柳谷村は山の中で孤立したような状態になった[要出典]。
- 村外に用務等で出かけている人は、雨の具合をみて仕事を早めに切り上げて帰宅する等の自発的対応をしていた[要出典]。
- 以前は豪雨による土砂崩れ・通行止めが多発していたが、洞門の設置により通行止めになるような土砂崩れは末期にはほとんど見られなくなっていた[要出典]。
- 国道440号
県道
観光
名所
その他
- 落出(柳井川) - 古味(西谷)の途中に「ごうかく」という村営バスのバス停があった(久万高原町となってからも所在)。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 『柳谷村誌』p.9
- ^ 『柳谷村誌』p.43
- ^ 『柳谷村誌』p.30
- ^ 『柳谷村誌』p.32
- ^ 『柳谷村誌』p.34
- ^ 佐川-久万間省営バスが全通『大阪朝日新聞』昭和10年7月18日(愛媛版)
- ^ 『柳谷村誌』p.889
- ^ 『柳谷村誌』p.37
- ^ 『柳谷村誌』p.893
- ^ 『柳谷村誌』p.282
- ^ 『柳谷村誌』p.287
- ^ 『柳谷村誌』p.897
- ^ 『柳谷村誌』p.900
- ^ 久万高原町有代替自動車施設条例 - 久万高原町
- ^ a b c d e f g h 沿革 - 久万高原町立柳谷小学校(内容はリンクされているPDFファイルを参照)
- ^ a b c 愛媛県生涯学習センター データベース『えひめの記憶』 柳谷村誌
参考文献
- 柳谷村誌編纂委員会『柳谷村誌』愛媛県上浮穴郡柳谷村、1984年3月20日。
関連項目
外部リンク
- 柳谷村ホームページ(2004/07/26アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project