林田 賢太(はやしだ けんた、1976年(昭和51年)4月22日 - 2008年(平成20年)11月1日(推定))は日本の脚本家、映画監督。
経歴・人物
大阪府吹田市出身。高校時代より自主映画を撮り始め、19歳で日本映画学校(現・日本映画大学)のシナリオコースに入学。加藤正人や(我妻正義)などから学び、同期には映画監督の李相日、草野陽花、松江哲明などがいる。卒業後は脚本家池端俊策に師事する。
在学中に大阪の(プラネットステーション)にて撮影した自主映画「(サマージャンボ)」がインディーズムービーフェスティバルにて4位。更に実習で作った自主映画「(東京フリーマーケット)」が同映画祭にてグランプリを受け、インディーズムービーフェスティバルより援助監督としてのスカラシップを得て、映画「ブリュレ」 を企画、脚本、監督する。(シネバイタルパートナーズ)代表。
「ブリュレ」劇場公開中の2008年10月31日にスタッフらと共に酒を飲んで事務所で別れた。その後姿を見せず、スタッフが林田を訪ねに11月5日朝に事務所へ赴いた所、林田が倒れていたため、直ちに病院へ搬送したものの、死亡していたことが確認された。死亡推定日は11月1日とされる[1][2]。32歳没。
通夜・葬儀は近親者のみで行われた。11月14日には「林田賢太監督おわかれ会"映画葬"」が開かれ、関係者やファンが参列した[3]。
プロデュース作品
- (ともかの夢みたこと)(2000年) - 第2回インディーズムービーフェスティバルで6位
監督作品
- (サマージャンボ)(2000年) - 第3回インディーズムービーフェスティバルで4位
- (東京フリーマーケット)(2001年) - 第4回インディーズムービーフェスティバルでグランプリ受賞
- (愛のモルヒネ)(2004年、(寒水映房))
- (隣之怪 弐談 バック物件)(2006年)
- (JOHNEN 定の愛 メイキング)(2006年)
- ブリュレ(2008年)
脚本作品
著作物
- ブリュレ(2005年、(プラネットジアース))
脚注
外部リンク
- - 公式サイト
- - 公式サイト