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松平 定儀(まつだいら さだのり)は、江戸時代中期の旗本・大名。越後国高田藩4代藩主。定綱系久松松平家6代。官位は従五位下・越中守。
生涯
初代藩主・松平定重の六男として誕生。母は笹尾氏。
正徳2年(1712年)9月7日、本家から蔵米5000俵を分け与えられて旗本として分家した。寄合衆に所属した。享保10年(1725年)10月11日、甥で先代藩主の定輝が早世したため、その跡を継いだ。同年12月7日、8代将軍・徳川吉宗に御目見する。同年12月18日、従五位下・越中守に叙任する。
享保12年(1727年)3月15日、お国入りする許可を得る。同年9月25日、高田で死去し、跡を養嗣子・定賢が継いだ。法号は大超院殿崇誉倒休大居士。
系譜
父母
- 松平定重(父)
- 笹尾氏 - 側室(母)
子女
養子、養女