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松平 乗薀(まつだいら のりもり)は、江戸時代中期の大名。美濃国岩村藩主。乗政流大給松平家4代。官位は従四位下・能登守。
生涯
享保元年(1716年)、伊勢亀山藩主・松平乗邑の三男として誕生。岩村藩の世嗣・乗恒が早世したため、先代藩主・松平乗賢の養子となり、寛保元年(1741年)12月に従五位下・美作守に叙位・任官される。延享3年(1746年)の乗賢の死去により家督を継ぎ、能登守に遷任する。
藩政では行政の簡素化を図ることで藩財政の再建を目指している。宝暦8年(1758年)に金森氏が騒動により改易されると、郡上城の受け取りを務めた。宝暦12年(1762年)12月に奏者番に任じられる。安永2年(1773年)に飛騨国で大原騒動が起こると、鎮圧のために出兵して功績を挙げた。
天明元年(1781年)4月22日、家督を養子の乗保に譲って隠居する。天明3年(1783年)7月6日、江戸で死去した。享年68。
学問
享保元年生まれの乗薀は、聖堂学問所(のちの昌平坂学問所)に学び、林鳳岡最晩年の弟子にあたる。乗薀の三男・松平乗衡は、林信敬の没後に林家の養子に入り、林述斎として8代当主を継いだ。
系譜
父母
正室
- 松浦篤信の養女 ー (千本倶隆)の娘
側室
- 前原氏
子女
養子
脚注
- ^ 前名:松平乗衡