概要
1573年(天正元年)、一安によって開山された。一安は安寿と厨子王の守り本尊「身代り地蔵尊」を奉じており、地元の地主だった鈴木伊兵衛が自分の屋敷を寄進して「念仏堂」にしたという[2]。
明治になり寺運衰微したが、1922年(大正11年)に下谷入谷町にあった「東運寺」と合併し「念仏山東運寺」となった。中興の桂巌新体制の下で、本殿などを新築した[3]。
釜寺
当寺の本堂の屋根の上に釜が載せられていることから、通称は「釜寺」と呼ばれている。これは厨子王が釜茹でにされそうになった時に、僧侶に扮した地蔵に助けられた故事からきている。現在の釜は二代目で、米1俵を炊くことができるという[2]。
山門
当寺の山門は三井八郎右衛門から寄進されたもので、元々は一関藩江戸藩邸の門であった。赤穂事件で浅野長矩が一関藩主田村建顕(右京大夫)に預けとなり、今生の別れにこの門をくぐったという[3]。
交通アクセス
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
- 東運寺公式サイト