東知立駅(ひがしちりゅうえき)は、愛知県碧海郡知立町(現在の知立市内幸町)にあった、名古屋鉄道名古屋本線の駅。現在の知立駅(3代)が開業するまでは、当駅(当時は新知立駅)と三河知立駅(当時は知立駅(初代))を統合した知立駅(2代)が知立町の中心駅で、三河線との連絡を担っていたが、知立駅(3代)完成後は利用客が低迷し、本線側の東知立駅は1968年(昭和43年)1月7日に廃止された。
歴史
知立町内には1915年(大正4年)に三河鉄道が進出し、町内を南北に縦断する路線を形成していた。一方、愛知電気鉄道も岡崎延伸にあたって(東海道電気鉄道)を合併し、東海道電気鉄道の免許線を一部変更して有松 - 知立 - 岡崎という町内を東西に横断する路線を計画していた。三河鉄道との交差についてははじめ知立駅(初代)へ愛電が乗り入れる予定であったが、三河鉄道との協議がまとまらず破談となり、愛電は予定ルートを少し迂回して三河鉄道を立体交差し、交点付近に新知立駅を設けて連絡を図ることになった。なお、この協議で工事が遅延し、新知立駅正式開業に先立ち現在の知立駅付近に仮の新知立駅を先行開業させている。
その後、1935年(昭和10年)に愛電は名岐鉄道と合併して名古屋鉄道が成立し、1941年(昭和16年)に三河鉄道が名鉄に合併される。知立(初代)・新知立の両駅は同会社になったことで連絡橋が設けられて構内連絡が可能になり、知立駅(2代)として1つの駅に統合された。ただし、別々の駅だったものを統合したために両線のホームは離れており、社内では本線側を「A知立」、三河線側を「B知立」と区別することもあった。しばらくはこの状態が続いたが、知立駅(2代)の構造は両線乗り換えが不便なこと、増発により知立連絡線を介した三河線直通運用に限界が生じたこと、島式ホームであるために乗降客の増加に即したホーム拡張などが出来ないといった問題があったため、知立駅の移転が名鉄と自治体によって計画され、1959年(昭和34年)に現在の知立駅(3代)が開業した。
旧駅付近の商店街の影響を考慮し、知立駅(2代)は移転後も存続となったが、両ホームは分離されて本線側が東知立駅、三河線側が三河知立駅となり、連絡橋も撤去された。存続はしたものの特急停車駅の知立駅(3代)からわずか600mという近距離にあった東知立駅の乗降客は次第に減少し、1968年(昭和43年)1月7日に東知立駅は廃止された。晩年には普通電車も一部通過するようになっていた。
年表
- 1923年(大正12年)
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 三河鉄道知立駅(初代) - 分岐点間の貨物連絡線(知立連絡線)が開通。
- 1935年(昭和10年)8月1日 - 名岐鉄道と愛知電気鉄道とを合併し、名古屋鉄道発足。名鉄豊橋線の駅となる。
- 1941年(昭和16年)
- 6月1日 - 名古屋鉄道が三河鉄道を合併。
- 8月1日 - 三河線知立駅(初代)と豊橋線新知立駅が統合され、知立駅(2代)に改称。
- 1948年(昭和23年)5月16日 - 新岐阜 - 豊橋間が名古屋本線に線名変更され、名鉄名古屋本線の駅となる。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 現在の知立駅(3代)が開業し、旧駅は名古屋本線側を東知立駅、三河線側を三河知立駅に改称して分離。
- 1968年(昭和43年)1月7日 - 廃止。
配線図
利用状況
1日平均乗降客数の変遷は以下の通りである[2]。
知立駅(2代)時代
- 昭和25年度:7,344人
- 昭和30年度:11,680人
東知立駅時代
- 昭和34年度:860人
- 昭和35年度:1,789人
- 昭和36年度:1,984人
- 昭和37年度:1,541人
- 昭和38年度:947人
- 昭和39年度:1,213人
- 昭和40年度:1,332人
- 昭和41年度:1,259人
- 昭和42年度:801人
隣の駅
脚注
参考文献
- 『知立市史〈中巻〉』知立市、1977年。
- 徳田耕一 (編)『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年。(ISBN 978-4533039232)
- 『鉄道ピクトリアル No.816 2009年3月号臨時増刊』電気車研究会、2009年。
座標: 北緯35度00分12秒 東経137度02分42秒 / 北緯35.003223度 東経137.044938度