歴史
地名の由来
当地において1656年(寛文2年)、尾張藩主徳川光友が星野勘左衛門のために三十三間堂に似せた弓道場を作ったことに由来する[4]。名古屋には既に矢場町があったため、東矢場町と呼ばれた[4]。
沿革
脚注
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 741.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 148.
- ^ 名古屋市計画局 1992, pp. 740–741.
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN (4-04-001230-5)。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。