村上 紋四郎(むらかみ もんしろう、慶応元年8月15日[1](1865年10月4日) - 昭和20年(1945年)1月21日)は日本の政治家。宮窪村初代村長、県会議員、今治市長、衆議院議員。
年譜
- 1865年(慶応元年) - 愛媛県越智郡宮窪村(現今治市)に農業村上伊勢吉の子として生まれた[2]。父親の村上伊勢吉は福田(のちの吉海町)の出身であるが、 宮窪村の徳丸リセと結婚したため、 宮窪に住み農業を営んだ[2]。 紋四郎は、 戸代部落で私塾を開いていた僧のもとで勉強した。その後、 家業を助けて働いた。
- 1890年(明治23年) - 選ばれて宮窪村初代村長となる[2]。7期約30年間、 その職を全うした[2]。また、宮窪村漁業総代にも推され、後に漁業組合頭取に選任された[2]。
- 1892年(明治25年) - 県会議員に当選[2]。
- 1923年(大正12年) - 衆議院議員に初当選[2]。憲政会に所属し、後に立憲民政党愛媛支部長となった[2]。
- 1933年(昭和8年) - 今治市長に就任[2]。
- 1945年(昭和20年) - 80歳で没した[2]。
系譜
- 村上家
脚注
参考文献
- 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ム一七頁
外部リンク
- 住友グループ広報委員会:巡回企画展「広瀬宰平と伊庭貞剛の軌跡」記念講演