李景亮(り けいりょう)は唐の官吏。李章武(りしょうぶ)の幽婚譚(『太平広記』巻340「(李章武)」)の作者。
その仕履は不明な点が多く、徳宗の貞元10年(基督教暦795年)12月に(制挙)の一である詳明政術可以理人科(しょうめいせいじゅつかいりじんか)に擢第した事と[1]、憲宗の元和末年(元和は20年(基督教暦820年)迄)には(翰林待詔)(かんりんたいしょう)の官にあって(左司御率府(さしぎょそつふ))の長史を授けられた事が知られるのみである[2]。
なお、宋代に(張読)(ちょうどく)の伝奇小説「李徴」(『(宣室志)(せんしつし)』所収)を脚色した話本「人虎伝」が行われてその撰者とされ、明や清代に小説「人虎伝」を収めた伝奇叢書の多くもその撰者を李景亮としているが、これらは偽託と見られている[3]。また、宣宗の大中9年(855年)3月の(宏詞)(こうし)の考試で題目の漏洩が発覚し(登科)の10人が均しく下第、関係者が処罰されるという事件があり[4]、その発覚は(日官)(にちかん)であった李景亮の奏上に因るものであったというが[5]、この日官は同名の別人らしい[6]。
脚注
参考文献
- 黒田真美子「李章武伝」『枕中記・李娃伝・鶯鶯伝他』(中国古典小説選5)、明治書院、2006年