経歴
中学1年の頃から「森安道場」に通うようになり、1学年上の野田敬三と知り合う。高校1年のとき、野田とともに高校を退学して奨励会試験を受けるというギャンブルに出て、見事合格。同期入会には、福崎文吾らがいる。
1985年6月10日の四段昇段(プロ入り)は、阿部隆と同日であった。その半年後に本間より12歳若い羽生善治がプロ入りし、その後、続々と「羽生世代」が台頭してくることとなる。
順位戦はC級2組に7期在籍し、その通算勝率はちょうど4割であった。「羽生世代」との順位戦での対戦成績は1勝5敗であった。1992年度に降級点が累積3点となり、フリークラスに降級することとなった。その一方で、竜王戦では第1期(1988年度)5組の3位決定戦で井上慶太に勝ち、4組へ昇級している。
フリークラス降級後、C級2組復帰の規定を満たす成績を収められず、2003年3月に44歳で引退。
普及活動に熱心な棋士として知られている。活動は国内に留まらず、2007年7月に文化庁から文化交流使の指名を受け、2008年5月まで、パリを中心にヨーロッパ各地に在住して、将棋の普及活動を行った[1]。
2008年8月、自宅にて「本間将棋スクール」を開校。
昇段履歴
主な成績
- 通算成績 145勝252敗 勝率0.3652
- 順位戦 C級2組 7期
関連項目
脚注
- ^ 「本間博六段の欧州将棋普及活動-最新報告」。2008年2月5日、MSN産経ニュース。
外部リンク
- 本間博|棋士データベース|日本将棋連盟
- 本間将棋スクール