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本多 忠盈(ほんだ ただみつ)は、江戸時代中期の大名。石見国浜田藩の第2代藩主。官位は従五位下・中務大輔。忠勝系本多家宗家10代。
略歴
信濃国松代藩主・真田信弘の6男。本多忠敞の養子となる。松代藩初代・真田信之の正室・小松姫は本多忠勝の娘であることから、忠盈自身も忠勝の血をひいていることとなる。正室は忠敞の娘。子に本多忠典(次男)。官位は従五位下、中務大輔。
宝暦9年(1759年)に忠敞の死去により家督を相続した。明和4年(1767年)35歳で死ぬと、家督は忠敞の実子・忠粛が継いだ。
系譜
父母
正室
- 本多忠敞の娘
側室
- 法王院 ー 松井氏
子女
- 本多忠典(次男)生母は法王院(側室)
養子