この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2019年3月) |
本多 利長(ほんだ としなが)は、江戸時代前期の大名。三河国岡崎藩の第4代藩主、遠江国横須賀藩主、出羽国村山藩の初代藩主。官位は従五位下・(越前守)。広孝系本多家4代。
生涯
岡崎藩の第3代藩主・本多忠利の6男として誕生。正保2年(1645年)、父の死去で跡を継ぐ。このとき、岡崎藩6万石のうち、5万石を継いで、残りの1万石は兄・(助久)と弟・(利朗)に分与した。同年6月27日、遠江横須賀へ移封される。しかし天和2年(1682年)2月23日、不行跡や過酷な藩政を布いたとして改易された(本多政利の改易に連座したとも)。後に改めて、出羽村山郡内に1万石を与えられている。
村山移封後の利長について『土芥寇讎記』では、「昔の統治は悪かったが、今はいい」「領地召し上げ(村山移封)のあと行状が良くなった」と記されている。
系譜
父母
正室、継室
養子
- 本多助芳 ー (本多助久)の次男
外部リンク
- 第二百二十九 本多越前守利長家之覺書 - 『改定史籍集覧』第16冊(近藤出版部、1906年)