概要
城の規模は、南北200メートル、東西200メートルほどの正方形であり、南方に二曲輪、三曲輪が構えられ、東側と北側に堀があったという。
沿革
1469年(文明元年)、越前国・尾張国の守護斯波義敏の命により、織田広近(尾張国上四郡守護代の織田敏広の弟)は小口城から犬山に移り、木ノ下城を築城し城主となる。美濃国の斎藤妙椿に対する牽制の役割があったという。織田広近は、犬山の乾山に戦闘用の砦を築いている。
1537年(天文6年)、織田信康は乾山の砦に城郭を造営し、犬山城として整備する。木ノ下城は廃城され、織田信康は犬山城に拠点を移す。
1564年(永禄7年)、織田信長が犬山城に籠もる織田信清を攻める際、かつての木ノ下城跡に宿営し、犬山城攻めの拠点とする(武功夜話による)。
1606年(慶長11年)、木ノ下城跡に愛宕山長泉寺延命院が建立される。延命院は明治初期の廃仏毀釈、神仏分離のため廃止され、延命院の中にあった愛宕神社になる。
所在地
- 愛知県犬山市犬山字愛宕
- 犬山市役所の西、愛宕神社