生涯
宝暦12年(1762年)、越後長岡藩主・牧野忠寛の次男として生まれる。牧野家時代は牧野忠義を名乗った。兄・忠精同様に高野常道(余慶)が侍読となり、その教育を受ける。
天明3年(1783年)9月、上総五井藩主・有馬氏恕が23歳で没した際、末期養子として跡を継ぎ、諱を氏保に改めた。同年12月18日、従五位下・備後守に叙される。天明5年(1785年)2月15日には、初めて領国に入るための暇を得ている。天明7年(1787年)6月19日に能登守に改めた。
系譜
父母
正室
- 蔦 ー 有馬頼貴の娘
子女
養子
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上、p.60
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十
- 済海寺遺跡調査団(鈴木公雄)「港区三田済海寺 長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書」(東京都港区教育委員会、1986年)
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
外部リンク
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus『(有馬氏保)』 - コトバンク