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人物
経歴
- 山田の三年時、夏の県大会では6試合で30打数24安打12本塁打49打点というとてつもない成績を残す。甲子園大会2回戦の明訓戦では、山田のリードを読み取って里中から2打席連続本塁打を放つ。剛速球を投げる投手としてもリリーフ登板。
- 2004年、東京スーパースターズにテスト入団。主に一塁手、DHとして出場。初期はハリー・フォアマンや土井垣将と併用されていたが、2006年ころからはほぼ5番に定着。微笑三太郎の広島移籍後は主に3番を打っている。
- 2007年の日本シリーズ1戦目では、川上憲伸から決勝の逆転2ラン本塁打を放つ。7戦目は、故障の里中の代わりに土井垣監督の思いついた「1イニング1投手」案から4回を任せられ、3者凡退に抑える。
背番号
- 21(2004年 - )