日露修好通商条約(にちろしゅうこうつうしょうじょうやく)は、幕末の日本とロシア帝国との間に結ばれた通商条約。
1858年8月19日(安政5年7月11日)に調印され、1859年8月18日(安政6年7月10日)に批准された。この条約は1895年(明治28年)に締結された(日露通商航海条約)によって総て無効になった。
改正
日本政府とロシア政府との交易業務の便宜を図るため、1867年12月、ロシア全権委任大使の(コンスルコルレジスキー)、(ツウェツニク)、(エウゲニー)、(ビューツォフ)と外国奉行・加賀守江連堯則とのあいだの協議が江戸で行われ、「魯西亞國新定約書(慶応3年11月18日魯歴1867年12月11於江戸調印交換)」が調印された(即日施行)[1]。
関連項目
脚注
- ^ 内閣官報局『法令全書』。国立国会図書館