日本坂トンネル(にほんざかトンネル)では以下のトンネルについて解説する。
いずれも、静岡県静岡市駿河区と焼津市にまたがり、花沢山山頂から西に伸びる尾根を下りた鞍点にある日本坂峠の下ではなく、花沢山の下を通っている(これらの中では、東名は少し峠寄りのルートである)。
東名高速道路 日本坂トンネル
日本坂トンネル(下り線)入口 | |
概要 | |
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位置 | 静岡県 |
現況 | 供用中 |
所属路線名 | E1 東名高速道路 |
起点 | 静岡県静岡市駿河区 |
終点 | 静岡県焼津市 |
運用 | |
開通 | 1969年(昭和44年)2月1日 |
所有 | 中日本高速道路株式会社 |
通行対象 | 自動車 |
技術情報 | |
全長 | (上り線左ルート)2,378m (上り線右ルート)2,371m (下り線)2,555m |
道路車線数 | (上り線左ルート)2車線 (上り線右ルート)2車線 (下り線)3車線 |
設計速度 | --km/h(法定速度:80km/h) |
東名高速道路の日本坂トンネルは静岡IC - 日本坂PA間にあり、同高速道路で最も長いトンネルである。全長は2,378 m(旧トンネル・上り線左ルート)、2,371 m(旧下り線トンネル・上り線右ルート)、2,555 m(新トンネル・下り線)。車線は上り線が4車線(左ルート2車線・右ルート2車線)、下り線が3車線。
開通時は上下ともに2車線ずつのトンネルであったが、静岡 - 焼津間は通勤利用などによって神奈川県内や名古屋市周辺と同等の交通量過多傾向となっており、トンネル付近を先頭とした渋滞が日常的に頻発し、休日には10 km以上の渋滞となって大きなボトルネックとなっていた。これを緩和するために拡幅工事を実施し、1998年(平成10年)に現在の下りトンネルが開通し、それまでの下りトンネルは上り線に転用された。その結果、上り4車線、下り3車線の計7車線に拡大され、当トンネルを先頭とする渋滞はほぼ解消された。なお、行楽期の渋滞は静岡IC付近や大井川焼津藤枝SIC - 吉田IC間などに先頭が移動する事態を招いたが、2012年の新東名高速道路開通後はこちらも解消されつつある。
新トンネルの完成に伴い、上り線トンネルの照明も下り線にあわせてナトリウムランプから全面的に蛍光灯に付け替えられた(入口付近では蛍光灯とナトリウムランプを併用)。なお、後述する火災事故の後に設けられたトンネル内の速度制限も70 km/hから80 km/hに緩和され、車線変更禁止も解除された。
トンネル内はハイウェイラジオのほか、トンネル内再送信としてNHKラジオ第1・第2(静岡局、東京局)、静岡放送(SBSラジオ)、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、NHK・FM(静岡)、K-mixの在静・在京AM各局と在静FM各局が受信できる。
開通当初は旧下り線トンネルの静岡側の入口から60 mほど手前に小坂トンネル(全長270 m)があったが、旧下り線トンネルを上りに転用する際に同トンネルと接合させ、転用後は1本のトンネルとなっている。これは、現在の上りトンネルの長さ表示が旧トンネルの長さ表示より長くなっているところからわかる。旧トンネルは上りが2,010 m、下りが2,050 mだった。
長大トンネルでもあることと後述の事故が発生したことを踏まえ、上下線ともにトンネル用信号機が設置されている。
計画と建設
東名高速道路では11の山岳トンネル[注釈 1]が設けられ[1]、静岡市より東側は岩質が悪く相当量の湧水があると予想された一方、西側は比較的良好な岩質であることで、東西でトンネルの掘削工法をそれぞれ異なるものとした[2]。東側(都夫良野トンネルから袖帥トンネルまでの7トンネル)に多い岩質の悪い箇所ではトンネル断面よりも小さい孔((先進導坑))を先に掘り進め、地質を都度確認しながら通常断面に拡大していく工法を主として採用した。この場合、万が一湧水に遭ったとしてもこの小さな孔を排水溝として使えるメリットがあるが、工期が長期化して工費も高くつくというデメリットもあった[3]。一方で西側(日本坂トンネルから宇利トンネルまでの4トンネル)は先進導坑を掘らず、最初から大断面の掘削に着手する「上部半断面先進工法」を主として採用した。この方式は工期が短く、工費も安いことが特徴である[3]。
日本坂トンネルが貫通する山は、岩自体は堅硬であったが、新幹線工事記録で見られるように水の多い山と予想された[4]。掘削に際しては東西で異なる工法が採用され、東側では先進導坑を掘る工法、西側では先進導坑を掘らない上部半断面掘削方式が用いられた。同じ山の掘削にもかかわらず違いが出た理由は、それぞれの会社の手持ちの機械、安全施工、経済性などの考え方が一致しなかったためである[5]。湧水が予想されたにもかかわらず上部半断面掘削方式が採用されたのは、多少の(破砕帯)があっても岩は硬く、良好な山と判断されたからである[6]。
先進導坑で予め水が抜かれた東側は特に問題もなく工事が進んだが、西側では下り線トンネルの掘削中に毎分約6トンの湧水が発生した。並行する上り線トンネルにおいても同様の事態を引き起こすことが予想されたため、支保工の間隔を縮めながら建て込んで掘削したが、上り線の坑口から約670 m掘り進んだところで毎分約180トン(秒換算3トン)という大湧水が発生した。犠牲者は出なかったが、鋼製の支保工はなぎ倒され、十数トンという大重量のジャンボー(掘削機械)は10 mも押し流されて土砂に埋まった。一般に報道されなかった最大のニュースがこれであった[7]。最終的に湧水量は25日間で45万トンに達し[8]、それまでトンネル史上最大の湧水とされる丹那トンネルの毎分35トンを上回る結果となった[9]。水が抜けた部分は、掘削地盤より21 mの高さまで大きく吹き抜ける大空洞が形成された。落石対策をとりながら空洞をモルタルで埋めて[8]工事を再開し、最終的には予定工期よりも2か月早く完成した[5]。
日本坂トンネル火災事故
1979年(昭和54年)7月11日18時40分頃、東名高速道路日本坂トンネル下り(現:上り右ルート)内で乗用車数台と油脂を積んだトラック数台が絡む追突事故が起き、7人が死亡し2人が負傷、173台の自動車が焼失するという未曾有の大事故となった。
隣
東海道新幹線日本坂トンネル
東海道新幹線静岡駅 - 掛川駅間にある鉄道トンネルである。全長2,174 m。
弾丸列車計画の一環として1941年(昭和16年)に着工。その後、弾丸列車計画全体は中止となったが、当トンネルの工事は在来線用に流用するため継続し、1944年(昭和19年)完成。前後に東海道本線を横取りするような線路が追加され、在来線用に1962年(昭和37年)まで利用された。1962年以降は東海道新幹線のトンネルとして整備され、1964年(昭和39年)の開業と同時に供用開始(再開)。東海道本線は日本坂トンネル移設後にいったん放棄された旧石部トンネル・旧磯浜トンネルを改修・結合した(新)石部トンネルに再び移設された。
国道150号新日本坂トンネル
国道150号静岡バイパスのトンネル。全長3,104 m(上り線)、2,207 m(下り線)。なお、下り線には本トンネルの手前(静岡側)に石部トンネル(全長720 m)がある。
大崩海岸の断崖の上を走る旧国道150号(現:静岡県道416号静岡焼津線)のバイパスとして開通した。当初は片側1車線の対面通行であったが、渋滞が慢性化したため従来トンネルの北側に新トンネルを造り、2003年に片側2車線に改築された。この区間は従来の新日本坂トンネル以外にも東名日本坂トンネルが3本、東海道新幹線日本坂トンネルが狭い区間に密集し、高度な掘削技術を必要としたために国土交通省中部地方整備局を事業主体としてで工事が行われた。拡幅事業により渋滞が緩和された分、60 km/h制限にも関わらず超過速度で走行する車両が多く、内部には車線を狭く感じさせるマーキングや路面凹凸など速度抑制対策が施されている。それと併せて出口付近で速度取締りをしている場合がある。毎年6月頃に数日間程度、トンネル内の保守点検(内部電気系統の保守や側壁のタイル、防護板の洗浄など)のために夜間対面通行規制を実施している。
無料通行出来るトンネルとしては国内20番目の長さ、片側2車線が確保されている無料トンネルとしては国内最長である。
トンネル内ではNHKラジオ第1(静岡)、NHKラジオ第2、NHK・FM(静岡)、SBSラジオ、ニッポン放送、K-mix、FM-Hi!の各ラジオ放送が再送信されている。トンネル内で事故、工事、災害など交通障害がある場合、工事などによる通行規制の予告が必要な場合、雨で路面が滑りやすくなっている場合などの注意喚起が必要な場合には各周波数では通常の再送信を中止し、緊急放送が流れるようになっている。
歩行者と自転車は当トンネルを通行できないので、静岡 - 焼津間の徒歩や自転車での移動は、日本坂の峠を越えるか、国道の旧道だった県道416号か、国道1号を利用して岡部経由となる。日本坂の峠越えは登山道で自転車の走行は困難、県道416号の静岡 - 焼津間には歩道がないため徒歩での通行は危険をともなう。
トンネル部分は平成19年度まで静岡県建設部の管理であったが、20年度より政令指定都市である静岡市に移管された。トンネル内に市境があるが焼津市部分に関しても現在静岡市建設局が一元管理している。これはトンネル設備の管理を市境で区切ることが物理的に困難であるためこのような措置がとられている。