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日本シネマ

日本シネマ株式会社(にほんシネマ)は、かつて存在した日本の映画会社である[1]。旧社名日本シネマフィルム株式会社(にほんシネマフィルム)[2][3]

日本シネマ株式会社
Nihon Cinema K.K.
種類 株式会社
市場情報 消滅
略称 日本シネマ
本社所在地 日本
東京都中央区京橋2-7-18 [1]
設立 1966年7月 [1]
業種 商社
事業内容 映画の製作・輸入 [1]
代表者 (鷲尾飛天丸) [1]
資本金 100万円 (1978年)[1]
関係する人物 (千葉実)
池田一夫
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沿革

  • 1963年(昭和38年) (鷲尾飛天丸)が日本シネマフィルム株式会社として活動開始[2][3]
  • 1966年(昭和41年)7月 日本シネマ株式会社の設立[1]
  • 1975年までに日本シネマ、葵映画、国映東京興映新東宝の各社の作品が「新東宝配給」として統一

[4]

  • 1987年(昭和62年)12月 活動停止

略歴・概要

記録の上で最初にみられる作品は、1963年(昭和38年)6月18日に「日本シネマフィルム」が配給して公開した本木荘二郎監督の『(女のはらわた)』(製作(巾プロダクション))である[2][3][5]。同作の「企画」として鷲尾飛天丸がクレジットされている[6]。本木は前年1962年(昭和37年)11月に公開された初監督作『(肉体自由貿易)』(製作国新映画)をヒットさせており、同作は4作目にあたるが[7]、邦画五社の1/10の予算で製作した『肉体自由貿易』を配給してヒットさせたのが、「日本シネマ」であるとする資料もある[8]

初年度においては、富士映画出身の小林悟[9]、同年に監督デビューしたばかりの若松孝二を監督に起用している[10]。1965年(昭和40年)には、同年に監督デビューしたばかりの山本晋也、翌年には前年に監督デビューしたばかりの向井寛をそれぞれ監督に起用している[11][12]。『映画年鑑 1978』によれば、1966年(昭和41年)7月に「日本シネマ株式会社」が設立されている[1]。同年には、松竹京都撮影所で40作を監督した福田晴一[13]、同じく18作を監督した倉橋良介[14]、1968年(昭和43年)には、ワールド映画出身の(奥脇敏夫)を監督に起用している[15]

1975年(昭和50年)から1979年(昭和54年)にかけては、製作本数が激減している[2][3]。初期に「製作」の鷲尾とならんで「企画」にクレジットされていた(千葉実)は、1978年(昭和53年)の時点では、ニューセレクトの常務取締役になっていた[16]

1980年(昭和55年)以降は、稲尾実梅沢薫らの監督作を多く製作し、1982年(昭和57年)には、向井寛や山本晋也の助監督を務めていた(獅子プロダクション)出身の新人滝田洋二郎を監督に起用している[3][17]

1985年(昭和60年)以降は、(渡辺元嗣)、深町章らの新人を起用、1960年代から俳優として活動し東活で監督デビューした新田栄の監督作を多く製作し、1987年(昭和62年)12月に新東宝映画が配給して公開された、新田栄監督の『(ザ・ペッティング4 舌戯)』以降、映画作品は発表されておらず、活動は停止したものとされる[3][18]

東京国立近代美術館フィルムセンターは、2012年(平成24年)6月現在、同社の製作・配給された200本近くの作品のうち、若松孝二監督の『(逆情)』(1964年)をはじめ、約60作の上映用プリントを所蔵している[19]

フィルモグラフィ

文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベースに掲載されている同社製作・配給作品の一覧である[2][3]

1963年
  • 『(女のはらわた)』 : 監督本木荘二郎、製作(巾プロダクション)、配給日本シネマ、1963年6月18日公開
  • 『(女犯の掟)』 : 監督小林悟、1963年6月25日公開
  • 『(5$の情欲)』 : 監督小林悟、1963年10月公開
  • 『(悪のもだえ)』 : 監督若松孝二、1963年12月31日公開
  • 『(不倫のつぐない)』 : 監督若松孝二、製作(新映フィルム)、配給日本シネマ、1963年12月31日公開
1964年
  • 『(めす犬の賭け)』 : 監督若松孝二、1964年3月17日公開
  • 『(赤い犯行)』 : 監督若松孝二、製作(東京シネマ)/日本シネマ、1964年5月17日公開
  • 『(女体難破船)』 : 監督南部泰三、製作(第八芸術映画プロダクション)/日本シネマ、1964年6月26日公開
  • 恐るべき女子学生 思春期前期』 : 監督新藤孝衛、1964年6月30日公開
  • 『(挑まれた女)』 : 監督(宮口圭)、1964年8月11日公開
  • 『(乾いた肌)』 : 監督若松孝二、1964年9月公開
  • 『(逆情)』 : 監督若松孝二、1964年9月公開
  • 『(網の中の女)』 : 監督若松孝二、1964年9月公開
  • 『(制服の女豹)』 : 監督(松浦潤)、製作日本シネマ/ヒロキプロダクション、1964年12月1日公開
  • 『(白い肌の脱出)』 : 監督若松孝二、1964年12月公開
1965年
  • 『(離婚屋開業中)』 : 監督若松孝二、1965年1月公開
  • 『(変態)』 : 監督(志賀隆)、1965年3月公開
  • 『(くされ縁)』 : 監督志賀隆、1965年4月公開
  • 『(妾ごろし)』 : 監督鶴巻次郎、1965年5月公開
  • 『(処女流転)』 : 監督(甲斐清二)、1965年6月公開
  • 『(つまみ喰い)』 : 監督山本晋也、1965年6月公開
  • 『(未公開の情事)』 : 監督山本晋也、1965年7月公開
  • 『(赤いしごき 日本毒婦伝)』 : 監督風魔三郎、製作プロダクション鷹、配給日本シネマ、1965年8月公開
  • 『(四つの乳房)』 : 監督(三樹英樹)、製作(北星映画社)、配給日本シネマ、1965年9月公開
  • 『(野郎と牝犬)』 : 監督山本晋也、1965年9月公開
  • 『(蜜のおとし穴)』 : 監督山本晋也、1965年10月公開
  • 『(肉体女優日記)』 : 監督山本晋也、1965年11月公開
1966年
  • 『(人妻の予定日)』 : 監督向井寛、1966年1月公開
  • 『(真夜中のあがき)』 : 監督山本晋也、1966年1月公開
  • 『(もだえの夜)』 : 監督(山口哲郎)、1966年2月公開
  • 『(獣の欲望)』 : 監督南部泰三、1966年2月公開
  • 『(一夜妻)』 : 監督山本晋也、1966年3月公開
  • 『(婚前交渉)』 : 監督山本晋也、1966年4月公開
  • 『(寝がえり)』 : 監督福田晴一、1966年5月公開
  • 『(悪徳医 産婦人科日記)』 : 監督福田晴一、製作協立映画、配給日本シネマ、1966年6月公開
  • 『(肉体の会話)』 : 監督(久我光)、製作(シネアトリエ)、配給日本シネマ、1966年6月公開
  • 『(女学生のあやまち)』 : 監督山本晋也、1966年7月公開
  • 『(情婦)』 : 監督木俣堯喬、1966年7月公開
  • 『(生娘)』 : 監督山本晋也、製作(山本プロダクション)、配給日本シネマ、1966年8月公開
  • 『(ぬすまれた官能)』 : 監督(五十嵐明)、1966年9月公開
  • 『(情炎)』 : 監督向井寛、1966年9月公開
  • 『(赤い情事)』 : 監督福田晴一、1966年10月公開
  • 『(禁じられたテクニック)』 : 監督向井寛、1966年11月公開
  • 『(悪の愉しみ)』 : 監督倉橋良介、1966年11月公開
  • 裏切の季節』 : 監督若松孝二、1966年12月公開
  • 『(かよい妻)』 : 監督向井寛、1966年12月公開
1967年
  • 『(いたづら)』 : 監督山本晋也、1967年1月13日公開
  • 『(避妊革命)』 : 監督足立正生、製作若松プロダクション、配給日本シネマ、1967年2月21日公開
  • 『(女の責め)』 : 監督山本晋也、1967年3月14日公開
  • 『(昼下りの逢びき)』 : 監督向井寛、製作日本芸術協会、配給日本シネマ、1967年3月28日公開
  • 『(或る密通)』 : 監督向井寛・山本晋也・若松孝二、1967年4月15日公開
  • 『(処女未練)』 : 監督向井寛、製作日本芸術協会、配給日本シネマ、1967年5月公開
  • 『(続悪徳医 女医篇)』 : 監督福田晴一、1967年5月23日公開
  • 『(女体蒸発)』 : 監督福田晴一、1967年7月18日公開
  • 『(夜のただれ)』 : 監督山本晋也、1967年9月2日公開
  • 『(性の放浪)』 : 監督若松孝二、製作若松プロダクション、配給日本シネマ、1967年9月12日公開
  • 『(汚れ)』 : 監督山本晋也、1967年9月19日公開
  • 『(売女(ばいた))』 : 監督関孝二、1967年10月17日公開
  • 『(リンチと縛り)』 : 監督(岸信太郎)、製作(ヤマベプロダクション)、配給日本シネマ、1967年11月7日公開
  • 『(変態魔)』 : 監督関孝二、1967年12月26日公開
  • 『(好色番外地)』 : 監督関孝司(関孝二)、1967年公開(公開日不明)
1968年
  • 『(性の配当)』 : 監督梅沢薫、1968年2月公開
  • 『(色道仁義)』 : 監督三樹英樹、製作ヤマベプロダクション、配給日本シネマ、1968年3月公開
  • 『(夫婦交換)』 : 監督梅沢薫、1968年4月公開
  • 『(猟奇 色情夜話)』 : 監督梅沢薫、1968年5月公開
  • 『(熱い犯行)』 : 監督佐々木元、1968年6月公開
  • 『(色道一代日 女の壺ぶり)』 : 監督梅沢薫、1968年8月公開
  • 『(赤い快楽)』 : 監督佐々木元、製作(前衛企画)、配給日本シネマ、1968年9月公開
  • 『(続・肉体女優日記)』 : 監督佐々木元、製作前衛企画、配給日本シネマ、1968年10月公開
  • 『(異常暴行魔)』 : 監督(奥脇敏夫)、1968年11月公開
  • 『(失神のテクニック ハレンチレポート)』 : 監督(三魔瑛介)、1968年11月公開
  • 『(残忍(秘)女責め)』 : 監督梅沢薫、1968年12月公開
  • 『(悪徳女高医)』 : 監督佐々木元、1968年公開(公開日不明)
  • 『(刑法208条 異常暴行罪)』 : 監督奥脇敏夫、1968年公開(公開日不明)
  • 『(お妾女高生)』 : 監督佐々木元、1968年公開(公開日不明)
  • 『(好色ガードマン)』 : 監督佐々木元、1968年公開(公開日不明)
  • 『(肉体の餌)』 : 監督梅沢薫、1968年公開(公開日不明)
1969年
  • 『(色道無宿)』 : 監督(結城康生)、1969年3月公開
  • 『(破れた肉体)』 : 監督結城康生、1969年4月公開
  • 『(情事の窓より 秘密ショウ)』 : 監督(嵯峨泰彦)、1969年5月公開
  • 『(男を喰う乳房)』 : 監督嵯峨泰彦、製作日本シネマ、配給前衛企画、1969年6月公開
  • 『(寝とられた女)』 : 監督結城康生、1969年6月公開
  • 『(禁じられた濡れごと師)』 : 監督(葉山隣)、1969年7月公開
  • 『(濡れた悪女)』 : 監督宮口圭、1969年7月公開
  • 『(ナオミ)』 : 監督向井寛、1969年7月公開
  • 『(痴女の戯れ)』 : 監督奥脇敏夫、1969年8月公開
  • 『(おんな情欲絵巻 必殺女斬り)』 : 監督福田晴一、1969年9月公開
  • 『(処女誘惑魔)』 : 監督宮口圭、製作葵映画、配給日本シネマ、1969年11月公開
  • 『(猫なめずり)』 : 監督佐々木元、1969年12月公開
  • 『(秘密クラブの女)』 : 監督関孝二、1969年12月公開
  • 『(性(セックス)ハンター 好色魔の記録)』 : 監督嵯峨康彦、1969年公開(公開日不明)
  • 『(密室の裸女拷問)』 : 監督奥脇敏夫、1969年公開(公開日不明)
  • 『(夜になったら殺して)』 : 監督宮口圭、1969年公開(公開日不明)
1970年
  • 『(セックスパトロン)』 : 監督関孝二、1970年1月公開
  • 『(夜の穴場)』 : 監督佐々木元、1970年2月公開
  • 『(真昼の暴行劇)』 : 監督若松孝二、1970年3月公開
  • 『(女の火遊び)』 : 監督梅沢薫、1970年4月公開
  • 『(肉体ハイジャック 殺しの前の快楽)』 : 監督梅沢薫、1970年5月公開
  • 『(昭和色豪伝 浮気のテクニック)』 : 監督佐々木元、1970年5月公開
  • 『(ベッドであなたと)』 : 監督梅沢薫、1970年11月公開
  • 『(暴行地帯)』 : 監督梅沢薫、1970年11月公開
  • 『(赤線団地夫人)』 : 監督佐々木元、1970年12月公開
1971年
  • 『(ああ、しびれる)』 : 監督梅沢薫、1971年1月公開
  • 『(脱ぐまで待って)』 : 監督佐々木元、1971年2月公開
  • 『(婚前セックス)』 : 監督梅沢薫、1971年3月公開
  • 『(交換の罠)』 : 監督(船橋一)、1971年5月公開
  • 『(覗きのテクニック)』 : 監督梅沢薫、1971年6月公開
  • 『(未公開セックスの穴場)』 : 監督梅沢薫、1971年6月公開
  • 『(変態魔の行状)』 : 監督梅沢薫、1971年8月公開
  • 『(つぼさがし三番勝負)』 : 監督佐々木元、1971年9月公開
  • 『(試し寝)』 : 監督梅沢薫、1971年10月公開
  • 『(ボディ洗い)』 : 監督佐々木元、1971年11月公開
  • 『(エロテスト)』 : 監督佐々木元、1971年12月公開
1972年
  • 『(ワイセツ?)』 : 監督梅沢薫、1972年1月公開
  • 『(処女狩り)』 : 監督佐々木元、1972年1月公開
  • 『(現代ポルノ遊び1=3)』 : 監督梅沢薫、1972年2月公開
  • 『(レズ&SM大百科)』 : 監督嵯峨泰彦、1972年3月公開
  • 『(肉風呂温泉旅館)』 : 監督佐々木元、1972年3月公開
  • 『(貞操泥棒)』 : 監督佐々木元、1972年4月公開
  • 『(続ワイセツ?)』 : 監督佐々木元、1972Bengali

年5月公開

  • 『(痴嘆の穴場)』 : 監督嵯峨泰彦、1972年6月公開
  • 『(露出狂)』 : 監督中村幻児、1972年7月公開
  • 『(痴情の女)』 : 監督中村幻児、1972年8月公開
  • 『(ヤミドキュメント 夜の態位 歓喜)』 : 監督佐々木元、1972年9月公開
  • 『(色情狂)』 : 監督嵯峨泰彦、1972年10月公開
  • 『(恍惚の遊び)』 : 監督中村幻児、1972年11月公開
  • 『(男と女の快楽)』 : 監督(星雅二)、1972年12月公開
1973年
  • 『(変態系図)』 : 監督佐々木元、1973年1月公開
  • 『(夜まで待てない女)』 : 監督中村幻児、1973年2月公開
  • 『(結婚予備SEX 同棲時代)』 : 監督佐々木元、1973年3月公開
1974年
  • 『(女の攻め所)』 : 監督佐々木元、1974年1月公開
  • 『(エロスのためいき)』 : 監督稲尾実、1974年2月公開
  • 『(狂い咲き)』 : 監督林静一、1974年3月公開
  • 『(悪女のいたづら)』 : 監督佐々木元、1974年4月公開
  • 『(性宴日誌)』 : 監督稲尾実、1974年5月公開
  • 『(名器)』 : 監督佐々木元、1974年6月公開
  • 『(ブロンドセックス)』 : 監督佐々木元、1974年7月公開
  • 『(未亡人クラブの秘めごと)』 : 監督稲尾実、1974年8月公開
  • 『(舐める)』 : 監督東元薫(梅沢薫)、1974年9月公開
  • 『(混棲狂乱時代)』 : 監督稲尾実、1974年10月公開
  • 『((秘)男狩り)』 : 監督吉田実、1974年11月公開
  • 『(女刺青拷問)』 : 監督向井寛、1974年12月公開
1975年 - 1977年
  • 『(鬼神のお松色狂い 実録性絵巻)』 : 監督佐々木元、製作大蔵映画、配給日本シネマ 1975年3月21日公開
  • 『(好奇心夫人)』 : 監督東元薫、1975年7月公開
  • 『(情欲責め)』 : 監督(荻碧)、製作日本シネマ、配給ミリオンフィルム、1977年8月公開
1979年

以降、すべて製作のみ、配給はすべて新東宝映画である[3]

  • 『(女教師(秘)教えてあげる)』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1979年12月公開 - 改題『課外教室 教えてあげる』
1980年
  • 『(ある女教師 鎖と柔肌)』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年11月公開
  • 『(痴漢通学電車)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年1月公開 - 改題『痴漢電車満員通学』
  • 『(痴漢おさわり電車)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年8月公開 - 改題『痴漢電車 おさわり集団』
  • 『(痴漢集団検診)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年7月公開
  • 『(女子学生(秘)床運動)』 : 監督浜恵子[]、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年10月公開
  • 『(痴漢電車 相互乗り入れ)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年12月公開
  • 『(指と舌ぜめ)』 : 監督(中山潔)、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年4月公開
  • 『(痴漢豆さがし)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年3月公開
  • 『(痴漢民宿ざこ寝)』 : 監督浜恵子、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年5月公開
  • 『(鞭で泣かす)』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1980年9月公開
1981年
  • 『(痴漢電車 よい子悪い子普通の子)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1981年12月公開 - 改題『痴漢電車 そっとさわって』
  • 『(痴漢地下鉄 変態乗客)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1981年8月公開 - 改題『痴漢電車 ぐっと握って』
1982年
  • 『(痴漢電車 もっと続けて)』 : 監督滝田洋二郎、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年4月公開 - 改題『痴漢電車いい気持ち』
  • 『(痴漢電車 もみもみ出勤)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年8月公開 - 改題『痴漢電車 指で快感』
  • 『(痴漢電車 満員豆さがし)』 : 監督滝田洋二郎、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年7月公開 - 改題『痴漢電車 下から覗いて』
  • 『(若妻暴行変質魔)』 : 監督梅沢薫、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年11月公開
  • 『(痴漢美容師 下もかけます)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1982年3月公開 - 改題『人妻濡れた下着』
1983年
  • 『(痴漢電車 良いOL・悪いOL・普通のOL)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1983年1月公開 - 改題『痴漢電車 途中でやめないで』
  • 『(金髪本番 興奮)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1983年5月公開
  • 『(痴漢電車 ルミ子のお尻)』 : 監督滝田洋二郎、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1983年1月公開 - 改題『痴漢電車 もっと内まで』
1984年
  • 『(痴漢電車 あの手この手)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1984年5月公開 - 改題『痴漢電車 内までびっしょり』
1985年
  • 『(痴漢電車 いくまで待って)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年1月公開
  • 『(BLONDEバイブ ONANIE)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年2月公開
  • 『(ロリータ喪失)』 : 監督(渡辺元嗣)、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年3月公開
  • 『(白い制服 今日子のONANIE)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年3月公開
  • 『(痴漢電車 発車一分前)』 : 監督渡辺元嗣、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年5月公開
  • 『(下半身快感マッサージ)』 : 監督稲尾実、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年6月公開
  • 緊縛 縄の陶酔』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年7月公開
  • 『(痴漢の手口 覗きのテクニック)』 : 監督渡辺元嗣、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年11月公開
  • 『(縄!吊し責め)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1985年12月公開
1986年
  • 『(ロリータ本番ONANIE)』 : 監督渡辺元嗣、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年2月公開
  • 『(実写!裏撮りONANIE)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年4月公開
  • 『(若妻変態ONANIE)』 : 監督深町章、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年4月公開
  • 『(狙われた学園 制服を襲う)』 : 監督渡辺元嗣、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年6月公開
  • 『(ザ・ペッティング)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年8月公開
  • 『(痴漢電車 いたずら)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年9月公開
  • 『(極限本番スペシャル)』 : 監督深町章、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1986年10月公開
1987年
  • 『(人妻究極セックス)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1987年3月公開
  • 『(ダブルONANIE 感じるままに)』 : 監督深町章、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1987年8月公開
  • 『(新・未亡人下宿 三食そい寝つき)』 : 監督深町章、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1987年11月公開
  • 『(ザ・ペッティング4 舌戯)』 : 監督新田栄、製作日本シネマ、配給新東宝映画、1987年12月公開

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h 『映画年鑑 1978』、p.214.
  2. ^ a b c d e 日本シネマ、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 日本シネマ日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  4. ^ “ピンクリボン|番外編~ピンク映画とは~”. webcache.googleusercontent.com. 2021年6月12日閲覧。
  5. ^ 女のはらわた、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  6. ^ 女のはらわた、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月17日閲覧。
  7. ^ 本木荘二郎、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  8. ^ 『キネマ旬報年鑑 1977』、p.58.
  9. ^ 小林悟、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  10. ^ 若松孝二、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  11. ^ 山本晋也、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  12. ^ 向井寛、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  13. ^ 福田晴一、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  14. ^ 倉橋良介、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  15. ^ 奥脇敏夫、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  16. ^ 『映画年鑑 1978』、p.212., p.283
  17. ^ 滝田洋二郎、日本映画データベース、2012年6月17日閲覧。
  18. ^ 『映画年鑑 1997』、p.260.
  19. ^ 日本シネマ東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月17日閲覧。

参考文献

  • 『キネマ旬報年鑑 1977』、黒甕社、1977年
  • 『映画年鑑 1978』、(時事映画通信社)、1977年12月1日
  • 『映画年鑑 1997』、時事映画通信社、1996年12月1日

関連項目

外部リンク

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