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人物
岩松新田氏・新田忠純の子。兄弟は俊子(今村繁三室)、てい((桂与一)室)、幸子(四女、松平慶民室)、義郎((北畠克通)養子)、(義之)((岩松純行)養子)ら。妻は高浜虚子の娘宵子。男子はなく、娘に武子、恭子、汪子((山田栄作)妻)、公子(宇佐美承妻)、容子((国井文扶)妻)、矩子((小谷野晃一)妻)。
1926年(大正15年)に明治大学政治経済学部を卒業し、第一生命保険相互会社に勤務する。1966年(昭和41年)、自身が所蔵していた古文書や絵画など約9,000点を群馬大学に寄贈し、現在新田文庫として公開されている。婿の山田栄作と娘汪子の間の(陽子)(孫娘)が跡を継いだ。
分倍河原の戦いの戦場跡の記念碑の文言は義美のものである。